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養老トレイルランニングレースに申し込む

うまくいかなさを、病気の母のせいにしているみたいでいやだとひとつ前の記事で書きました。(徒然なるままに、書きます)

いろいろな理由があって、仕事に力を注げなかったりしていて、自分にも外の世界にも、ちょっと嫌だなと思っている今日この頃。

死ぬときに人はどんな後悔をするか?という問いに対し、
「やりたかったことをやらなかったこと」と答える人は多いそうです。

母は病気で、今は元気に活動ができません。
私は全く元気ではないのですが、ハッキリとした病気があるわけではありませんし、命の危機はまだ感じていません。

なので、私はまだ当分生きられるだろう。
であるならば… なにをすることが、後悔をしない生き方なのか。

まずは母に会うこと。日々生活すること。
そして、かねてからやりたいとおもっていたことをやること。

そのひとつが「トレラン」であります。

私の趣味は「長距離を走る人の姿を観ること」です。
(走れメロスは読んだことがないが…)
陸上をやっている息子の応援、大学駅伝、マラソン、グレートレース、TJAR… と、とにかく走る人を観ることが好きです。

これってどこかで自分も走りたいと思っているんじゃないですかね。

やってみて「いやー、やっぱ自分は観る専門でいいや」と思うかもしれませんし、それならそれでよいと思います。
正直仕事も、やってみると「いやー、やっぱ自分には難しいわ」と思うことが沢山あって、そんなこんなで自信を無くしたりもして元気がないのかもしれません。

ですが、やらずに後悔する方が、やってみて「いやー、やっぱ無理だわ」と思うよりも無念さが残るんじゃないですかね。
(いや? やってみて、無力感を感じるのも無念だが…それは頑張りが足りないのか…?) 

まあとにかく、申し込んでしまえ、と思って先ほど申し込みました。

このレース、昨年まではキッズ部門もあって(低学年1キロ、高学年2キロ)え???2キロ???と思うほど、過酷な上り下り。
リザルトに載っている、子どもたちの名前をみるのがちょっと楽しいです。
(キッズは全員の名前が載ります。今年はキッズ部門中止です)

「中学生になったら、ショート(12キロ)一緒に出ようよぉ」と息子を誘っていたのですが、見事断られ、ひとりで出場いたします。

当日逃げ出さなくて済むように、今日の夕方から走ろうと思います。
ぶん殴りたい自分を、走ることで殴ってやる。