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母の癌 その後

抗がん剤治療ができなくなって、1ヵ月が経つ。
2022年6月に手術を受けて、抗がん剤治療で通っていた大学病院から緩和ケアの病院と訪問看護を紹介されたのが二週間前。

大学病院で最後のお話しをきいたとき、あまりにあっけなく、何とも言えない気持ちになった。母のように「もうできる治療がない」人は、日々何千人?何万人?も出現しているのだろうなぁと感じた。

抗がん剤治療を止めて、食欲が少し戻ったり髪の毛が生えてきたけれど、骨に転移した癌が悪さをしているようで、とうとう腕が痛くて力が入らなくなってしまった母。もう一人で起き上がるのも難しいらしく、ここ数日は寝て過ごしている時間の方が長い。

ほんの1週間くらい前、久びりに少し散歩に出られたと喜んでいたのに。
日に日に弱っていく母は、あまり私たち娘や孫に会いたがらず、父とひっそりと暮らしている。

父と母は運命共同体のよう。昔から父親の方がしっかりとしている家庭だったので、何とはなしに今の状態を受け入れている。

今週末に、母の姉2人が遠方から会いに来るそうだ。
いよいよ先が長くないと察したか、母が話したのだろう。

私は母のこともあり、仕事を増やすことに対して気が進まず、今はたまにしか仕事がない状態で、時間は沢山ある。
母に会いに行くこともできる。

癌が再発し、そう長くないと感じてからは、仕事を増やすことを躊躇うようになった。
できるだけ、自分を自由にしておきたかった。
でも、父と母は「来なくてよい」と言う。(今は週1~2で会いに行き、料理などをしている)
父と母には娘二人しかおらず、私と姉を嫁に出す前から、とっくに二人きりで生きていく覚悟をしていたから。

毎日、自分はどうすればよいのか悩み、ふさいでいる。
夫に、どうしたらよいか?と聞いてみた。

夫は、12年前に父親を亡くしていて、亡くなる2か月前から1歳の息子を連れて家族で会いに通った。車で2時間半の距離なので、週末だけ。
できるだけのことはしたけれど、もっと親孝行をしたかったと夫は涙ながらに話してくれた。

母の痛みや苦しみを理解することはできないし、父の支えになることもできないのかもしれない。
でも、私だってできるだけ悔いは少なくしたい。
夫のアドバイスに従って、近いうちに自分の気持ちを伝えることにした。
とりあえず、今日明日でやるべき仕事を進めて、週末以降はできるだけ実家に足を運べるようにしておこう。