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風邪デトックス

久しぶりに風邪をひいた。今日で5日目ですが、いまだ治らず。
明日は母の一時退院で、早朝から実家へ向かい手伝う予定でしたが、全て姉と義兄にお願いすることに。

母の入院から2ヶ月、こんなに母に会わなかったことはない。
入院当初は「いつ急変するか分からない」という恐怖と不安から、毎日病院へ通った。母に会いに来た従妹から「おじさん(父)よりも、〇〇(私)がヤバそうだけど?」と姉に電話があり、初めは何を言っているんだと思ったけれど、その日にみんなで写した写真には異様に目がぎょろりとした自分がいた。数日後には動機・息切れが激しくなり、バセドウ病の再発を確信したのだった。(目がぎょろりとしていたのも、バセドウ病の症状。軽い眼球突出。)

自分の病気どころか、年末には父の大腸がんが判明し「父を支えなければ」という考えで頭がいっぱいになった。
母に会いたいというよりも、父に少しでも家で休んでもらいたい、父と母の間にある真っ暗でだんまりとした空気を少しでも変えたくて、年末年始も病院へ通った。

1月4日、新幹線に飛び乗って日帰りで夫の実家に帰省をしたら(夫と子供は先に帰省済み)、その日の朝に義母が急に歩けなくなったというではないか。息子は翌日から部活。そのまま夫は義実家へ残ることとなり、私は子どもたちを不慣れな夫所有の車に乗せて、Uターンラッシュの道を帰宅。次の日は全身の痛みで動けなかった。(日ごろの運動不足も要因かも)
*義母の足が、その後順調に回復して良かった

そんな頃、母がお世話になっている緩和ケア病棟から、「もうすぐ入院して2カ月経つので、その後の入院継続は難しい」という話しが出た。

当然、父は激しく動揺し、母は相変わらず本音がよく見えなかったけれど、心安らかではないことは確かだった。
母の次の転院先を見つけなければと、父と医療付き老人ホームの見学へ行くなどしていたら、緩和ケア病棟の先生から「10日間の一時退院&再入院」を提案される。
私の想像した「最悪の場合」は今は考えなくても良いこととなった。

父は癌治療に必要な検査を終え、外科医から改めて病名の告知と、2月15日の手術が決まった。
「大腸がんステージ1~2、早く見つかって良かったですね。一週間の入院です」
医師の言葉を聞いて、癌の告知というしんどい場面のはずなのに、ほっと胸をなでおろした(もっと進行していることを想像していたので)。

父の入院・手術より早い日程で、母の一時退院日と、それに必要な介護用品の打ち合わせが始まり、全てのスケジュールが決まった。
〈 母一時退院 ⇒ 母再入院 ⇒ 父入院&手術 〉
その一時退院日が明日なのです。
よりによって寒波が襲い、母の一時退院も気が気ではないのだけれど、もはや私にできることはない。

風邪でもう5日も、ほとんど何もしていない。(と言っても、家事は他にやる人がいないので、自分でやっている)
母にも、父にも、会っていない。
明日の一時退院については、父と姉に電話でお願いした。
「役に立てなくてごめん」父に話すとき、泣けてきた。

今回の体調不良で気が付いたこと。
バセドウ病の治療に伴い、体重が1ヵ月で3キロも増え、知らず知らずのうちに重い荷物を背負いこんでいたようだ。

風邪をひいて体重が1キロ落ちた。普段無意味に食べていた甘いお菓子などを食べたいと思わなくなったから。それでも普段の体重より2キロ多いけれど、多少軽くなった分、心も軽くなっている。

体調が最も悪いときには「このまま慢性疲労症候群になるのでは…」と不安が過ったけれど、まだ自分は健康体らしく、ゆっくり順調に回復している。歳を取って、回復に時間がかかるようになったけれど、年相応だろう。

こうやって書き出してみると、2ヶ月の間にいろいろなことがあって、ここに書いていない母への葛藤や、仕事ができなくなる恐怖や、様々なことがあった。
大腸がんを患っている父に気を遣わせてしまうほど、私も弱っていたのだろう。仕方のないことだ。脳の働きも鈍っているようで、この文章もいつにもまして読みにくいし、まだ元気とは程遠い。

母の体調は、ここしばらくほどんと変わっていないらしい。母の癌細胞は、父の手術が無事に終わるまで待ってくれているのだろうか。
父の癌細胞も、決して大きく・深くなることなく、じっと耐えるか諦めて縮小していただきたい。

明日から10日間の自宅での暮らし。平日は父だけになるので、月曜からは応援に行けるよう完全体を目指そうと思う。