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死が一歩一歩近づいているけれど

いよいよ明日、父の大腸がんの手術。
という時を前にして、末期がんの母の体調がいよいよ悪くなってきました。

1月26日からの10日間の一時退院。1月中は比較的元気で、いつも以上に沢山食べて、車いすに乗って居間でテレビを観たりしていた母。
2月に入ると体調が良くない時間が増え、2月5日に再入院。緩和ケア病棟に空きがなく一般病棟で過ごした3泊4日。一日に一度の楽しみだった車いす移乗もできず、様々な面で辛い時間だったようです。
2月8日に緩和ケア病棟へ戻ることができましたが、体調は回復せず食事が殆んど取れなくなってきました。それでも、慣れ親しんだ環境で、優しい看護師さんや医師と笑顔で話す母は、心穏やかに過ごす時間が増えたように見えます。(眠っている時間が増えて、愚痴や不満を口にする余裕があまりないからかもしれません)

日ごとに食べる量が減り、ポータブルトイレへの移動が出来なくなり、昨日からはオムツを使用しています。呂律が回らなくなり、母の言葉が聞き取りづらくなりました。
父は、「どんどん弱ってきてしまったなぁ」と言ってはポロリと涙をこぼします。そんな父も、今日入院しました。自身の大腸がんを治すために。

死が一歩一歩近づいている。
この数日、そういった感覚があって、明らかに10日前までとは違う感じがするのです。
「どんどん弱ってきてしまったなぁ」父の言葉に、「誰だってそうだよ、お父さんも私も、ゆっくりゆっくり弱ってるんだから」などと返したのですが、その死が、あと数週間先なのか、数年や数十年先なのかでは感じ方が違うのは当然です。

入院する父を13時に見送り、それからは母と二人きりで病室で過ごしました。3か月近く、この時間帯は母と二人きりで病室で過ごしているのに、今夜は父がここに来ない、明日も来ないという事実がとてつもなく重く感じられました。
母にはまず父がいて、そして私がいる(父を助けなければ!と思っている)。それから土日には姉がいる。という認識の中、なんとか自分自身を保っていたのだなぁと帰りの車の中で明日からの不安に潰されそうで、とうとうスーパーの駐車場から動けなくなってしまいました。

自分は結局、父に甘えていたのだ、と。

そして母にも甘えています。母が看護師さんや心理士さんに見せる笑顔や、「ありがたいです」という言葉に、この期に及んで救われる自分がいます。ああ、母の娘で良かったと、私の好きな母は健在だ、と思っている自分に気づくのです。
本当に一人の人として対等であるのならば、相手がどのような状態であっても受容できるはずなのに、私は母に、「好ましい母でいてほしい」と甘えているのです。

『末期がん、最期』など、これまで何度も調べたワードを検索しては、今の母の状態に当てはまっていることを確認しました。もうわかっていることなのに。
父の退院は22日の予定です。急変しない限り、まだ大丈夫。
ですが、その時に、母がもう話せなくなってしまっているのではないか?
そうだとしたら、父はそのあと生きていけるだろうか…? 等の不安が渦巻くのです。

父と母の愛を、絆を、もう40年も見続けてきたのだから、私個人に悔いはありません。ただ、悲しむ父と母の姿を見たくないだけで… 

母の死が近づいてくることもこわいのですが、それ以上に、父の悲しみや後悔を想像することが怖いのだと思いました。でもしょせん、想像です。

母は体がしんどくて、痛くて、物をのみこめず、とても辛そうです。
ですが、父がいて、娘が二人いて、孫たちがいて、遠方から駆けつけてくれる姉や甥たち、甥の子どもたちがいて、とても幸せな人生であるように見えます。
緩和ケア病棟のみなさんはとても親切です。看護助手の千春さんは花壇の水やりをしてくださって、母の心を癒してくれています。今日は千春さんのおかげで、車いすに乗り、談話室から見える花々を眺めることができました。
母はとても幸せな終末期を過ごしているように見えます。

私は、ただ、「そのように見える」ことを「ありがたいなぁ」と噛み締めて、できるだけ心穏やかに明日も病院へ向かおうと思います。