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生きづらさと共に(男であること、女であること)
久しぶりに書いてるのに、いきなりこのテーマ?
男性女性というジェンダーについて、書こうとするとなかなかボリュームがあるが、人としての長い歴史の中で、どうしても避けて通れないところじゃないのかなと思う。
本や映画の中でも男性であること女性であることに触れることは多いし、そもそも性の作りは男か女だ、生物によっては雄雌が無いというものもあるけど、どこかで雄雌が分かれていくみたい。
最近の世の中は、ジェンダーを一般的に取り上げられて、その悩みも公にできるようにもなってきているし、テレビでもドラマの中で明るく取り上げられてきている。有名な方がカミングアウトされることもあるし、そういう流れが一般的に取り上げられるようになってきたんじゃないかと思うように感じる。法律も施行されたと話題になるほどだからね
でも、実際はどうなんだろう?
案外とそうは簡単には気持ちは吹っ切れないでしょと思うのである。
両親との関係性や、兄弟姉妹がいればその関係だったり、学校や友人との関係だったり、自分のことをどう思われるのかという怖さや恐怖がまず生まれてくるんじゃないだろうかと思う。こうやって一文で書いてしまうこと、薄っぺらさまで感じてしまうほどだよね。
いやいや本人はどれほど苦しかったり、悩んだり、自分のことを批判したり、絶望まで感じれしまうのかもしれない。そんな恐れの中でどうしよもなくなってしまうこともあるだろう、自分を責めるかもしれない。
でも、自分の中で起こるどうすることもできない感情は、自分でしかわからないものじゃないかと思う。それでいいと思えるようになるまで、どれだけ時間がかかるのだろう、と思うのである。
プロセスの中で自分にとっての着地点を探さないといけない旅になるように感じる、一回のイベントだけでは終わらず、何度も何度も繰り返しながら、これでいいんだと思える事が大事なんじゃないかと思う
ダラダラ書いて終わりは見つかりそうもないね( ^ω^ )
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