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忘れられないけど忘れている話

私の初めてのnoteへの投稿、何について書こうかを5月のあいだじゅう、わりとずっと考えていたんですが、今日やっと心が決まったので書くことにしました。

noteのIDは自動的に付与されるわけではなく、自分で決めないとならないんですけど、どうしても、これは完全に自分のだなと判別できるようなIDを決めるの、めちゃめちゃ難しい。ツイッターのIDと一緒にする?いやいや、他のものを流用するのはちょっと。じゃあどうする?って考えて、結局、相変わらず、いつものを使ってしまった。

IDは"2019_03_08"、私が応援していたユニットのファイナルライブが行われた日付だ。

2018年6月15日、ファンクラブから「大切なお知らせ」が発表された。その発表からもうすぐ2年が経つのかと思うと恐ろしい気もするし、もうすぐ2年が経つというのに、解散発表が出たその日付を今でもパっと思い出せることがいちばん恐ろしい気がする。

私は大学3年生で、教員免許を取るべく単位取得に勤しんでいたため、本来はイベントだライブだと出かけたりする余裕は時間的にも金銭的にも、メンタル的にもなかった。が、結局、この時間はいつか取り返すことはできない、という大義名分のもとにあちこちへ出かけて行った。もちろん死ぬほど単位は落とした。何かに夢中になりながら、きっちりやるべきことをやるなんてことは、私にはさっぱりできなかった。もちろんただの言い訳ですが。

大義名分の元に出かけた先は、大阪・岸和田、岩手・盛岡、熊本、そして宮城・仙台。ライブでの思い出は数えきれないほどあって、やらかしてしまったこと、会場に居た誰と、どんな話をしたか、事細かとは言わないまでも、今でもありありと思い出せる。これは嘘じゃない。メッセージ集めに奔走してみたり、そこに居た見知らぬ同じユニットのファンに突撃してみたり。文字にするとなかなかアレだなあと思う。

さて、ここまでだらだらと言葉を連ねてきたけれど、今回話したかったことは、仙台2日目の昼公演で、Wake Up, Girls!のユニットのセンター、まゆしぃが言った「絶対忘れないって言いながら数年後には他現場に行ったりするんでしょ、絶対忘れられなくしてやるからな」という言葉についてです。とは言え、この言葉自体はニュアンスでしか覚えてなくて、ツイッターで検索して書きました。ごめんまゆしぃ、意図とは違うと思うけど、言った言葉をまるごと綺麗には覚えられてはいませんでした。

私はこれを聞いた時もぼろぼろに泣きながら、それでも自分はきっと来年には忘れているんだろうし、他の現場、現場というのはイベントやライブを指すのですが、そういうのに行ってるんだろうなとぼんやりと思っていました。泣いてるくせに、どこか冷めてる自分が居た。

Wake Up, Girls!、通称WUG(読み:ワグ)のファンのことをワグナーと呼び、私たちもワグナーを自称するのですが、フォロワーの大半がワグナーな私のタイムラインでは来る日も来る日も誰かが何かしらユニットの話、ライブの話をしています。そんな話をするワグナーな自分たちをゾンビと揶揄したりもするのですが、思っていたよりも全然、私たちは忘れる気配がありません。

ツイキャスという配信サービスがあります。私も時々使っていて、基本的にただ自分の話したいことを好きに話して、聞いている人たちからコメントがきたらそれにリアクションを返してみたり。

この間、久しぶりにWUGの話をツイキャスでしました。きっと忘れているだろう、と公演当日はあんなに思っていたのに、やっぱりその時もスラスラと、あの公演の〇〇ちゃんの歌が、話がすごくよかった、〇〇ちゃんがこんな風に客席を見ている姿に大好きになった、と口をついて出てきました。

「なんだ、忘れてないじゃん」

そう思う反面、私の口をついて出てくるエピソードは、何とかして記憶にとどめたいと思ってツイートしたもの、公演を振り返って長々とブログを書いたもの、繰り返し、ワグナーの間で共有されているエピソード。そういったものばかりで、メンバーと共有した時間の多くはもう零れ落ちてしまっていて、取り戻すことができないんだなと気づかされます。




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