改めて振り返るTSMの歴史
はじめに
今や世界を代表するプロゲーミングチームとなったTSMですが、最初から巨大な組織だったわけではありません。始まりはsolomid.netというwebサイトにて集まったゲームオタクたちのサークル的なゲーミングチームでした。
そこから着実に実績を積み上げ、紆余曲折を経て今のような巨大なゲーミングチームとなりました。そんなTSMの発展の歴史を、TSMが発足する元となったLeague of Legendsに焦点を当て、一人のTSMファンボーイとして振り返っていこうと思います。
シーズン1のWCS
古のNAの民からしてみると伝説と言っても過言ではない当時最強の5人が集まったチームでした。まずTopにThe Rain Man。JungleがThe Odd One。MIdにReginaldで、Bot duoがChaoxにXpecialと名前だけで思い出に浸れるくらいのメンバーで構成されていました。
シーズン1のWCSで3位だったときのワンシーン。あまりにも懐かしい。
少し話が逸れますが、この時は今よりもバチバチにNA vs EUという空気が流れていました。というのも当時のメタが所謂NAスタイルとEUスタイル(この説明は長くなるのでまた別の記事にて触れます)という、地域間で全く異なるメタが流行しており、どちらのメタが優れているのかと激しく論争が交わされていましたが、この大会で白黒はっきりつけようじゃないかという事で、コミュニティ内で盛り上がりを見せていました。
結果優勝したのは、EUのチームであるFnaticでしたが、ここから良きライバル関係という意味でNA vs EUという構図ができあがったわけです。
ちなみにこのとき準決勝でTSMに勝利したaAaことagainst All authorityのTopレーナーはsOAZ。彼もまた生ける伝説ですよね。
DyrusがTSMに加入
2012年の初頭に、Dyrusの故郷であるハワイではPingが高いため、TSMハウスに移り住んできました。
TSMハウスに来てしばらくは今は亡きEpik Gamerに所属していましたが、The Rain ManがTSMを脱退すると同時に(当時かなり話題になりました)、正式にTSMのTopレーナーに就任しました。
当時から高い技術を持っていたこともありますが、その天然なキャラから繰り出す様々なエピソードがファンの間で人気を呼びました。
そんなDyrusのおもしろエピソードを語る上で忘れてならないのがマイクロウェーブハラス事件です。
電子レンジですら伝説を作る男Dyrus
英語が得意な方ではないので掻い摘んで説明しますと、冷凍食品(たしかピザ)をレンジで温めようとした所、通常4分のところを40分温めたせいでボヤ騒ぎに発展し、火災報知器が鳴りご近所さんに迷惑をかけるというとんでも事件が発生した瞬間でした。
動画が見つからなかったのですが、当時The Rain Manが配信していて、後ろが騒がしくなった為一旦フェードアウトし、戻ってきたら「Dyrusがボヤ騒ぎを起こしやがった!」と配信で報告したシーンがコミュニティで笑いの渦を巻き起こしました。
その後マイクロウェーブハラスがミームとなり、古のLoLプレイヤーが思い出話を語るときの話のネタとなったのでした。
Chaoxとの別れとWildTurtleの加入
Dyrusが加入してから約1年後、チームとの不和からChaoxが脱退することとなりました。
DyrusとChaoxはとても仲が良い友人同士で、Chaoxとの別れのシーンは全TSMファンボーイが涙しました。
今見ても悲しい・・・
そこで、Chaoxの抜けた穴に鳴り物入りで新規加入したのがWildTurtleでした。加入当時、彼はSoloQ Kingとして非常に有名で、チャレンジャーアカウントを3つ所持していました。
そんなWildTurtleを迎えて、盤石の体制で結成された、Season3のTSM。誰もが世界大会での活躍を期待していました。
当時のNA最強メンバー。のはずだった・・・
ではSeason3のWCSはどうなったのか?TSMは予選グループを5チーム中4位というKR、CN勢に手も足も出ないという結果に終わりました。そして優勝したのは皆さんご存知、魔王Faker率いるSKT T1。Royal Club(現RNG)を決勝で3-0で破り、ここから長きに渡りKRの天下が続くのでした。
BjergsenがTSMに加入する
TSMが組織として成長する一方、長きに渡り組織経営とプロゲーマーの二足のわらじだったReginaldが競技シーンからの引退を表明し、新たなTSMのmidレーナーを探す必要がありました。
そこで加入したのが、当時17歳ヨーロッパ出身の若きmidレーナーBjergsenでした。
若かりし頃のBjergsen。LoLプレイヤーの中で最もリスペクトしている人物
今やTSMの顔として誰もが知っているプレイヤーとなりました。今後の進退が危ぶまれる中、TSMの共同経営者として契約を交わした事も記憶に新しいと思います。
そんなBjergsenの得意チャンピオンとは何かと聞かれたら、私はSyndraだと答えます。
BjergsenにSyndraを渡してはいけない
Syndraの他にも幅広いチャンピオンプールを持ち、今なお成長を続けるNAを代表するmidレーナーであるBjergsen。今後も彼の活躍に目が離せません。
IEM World Championshipでの優勝
TSMを語る上で忘れてならないのがIEMで優勝したシーンです。
時は2015年の3月。ゲーマーではおなじみの地Katowiceにて開催された本大会。今ではLoLの大会は全てRiot直轄のものしか無いのでIEMでLoLの大会は開催されていませんが、当時はRiot主催のWCSの次に重要な世界大会の舞台でした。
当時のTSMのメンバー。Lustboyが本当に上手かった
長年世界大会のタイトルを取ることができなかったTSMですが、本大会でついにそのチャンスに恵まれます。
しかしこの大会は当時全盛期であったGE TigersやあのMadLife率いるCJ Entus、今でもLCKのシーンにて活躍するSpiritの所属していたTeam WE等、世界の強豪ひしめく大混戦でした。
そんな中、みごと決勝にてTeam WEを下し、ついに世界タイトルを獲得したTSM。あの時の会場でのTSMコールは相当気持ちが良かったことでしょう。
レーンスワップ全盛期の時代。BAN/Pickにも時代を感じる
さいごに
今回はLoLからTSMの歴史を振り返って来ましたが、今やLoLだけにとどまらず、様々なジャンルのゲームにてスポンサードを行っているTSM。これからも世界の競技シーンでの活躍を見られることでしょう。
そしてLoLでも、いつかWCS決勝の舞台でTSMコールが巻き起こることを信じて、今後もLCSの動向を追って行きたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
画像引用元
・Leaguepedia
https://lol.gamepedia.com/League_of_Legends_Esports_Wiki
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