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それでも太陽のことは嫌いになれない

山奥の集落で暮らし始めてもうすぐ1年がたつ。
1年でこんなにも変わるのかと思うほど、生活が変わりつつある今日このごろ。久しぶりに綴る。


晴れた日には外に出たい
種を蒔いて、水をまいて、野菜たちの成長を見たい。

農業を商いとする二人のもとで育ち、私自身も最近になってやっと自然の流れの中で自ら食べ物を育てることの喜びを感じるようになり、大学卒業と同時にこの生き方を選択した。

晴れた日に家の中でゴロゴロなんて、ちょっともったいない。
はやくこの種を蒔かないと、育った野菜を定植しないと、草取りしないと、雨になる前にこれだけはやらないと。

やること、やりたいこと、できることは沢山あるのに
それをやれる時間がない。特に忙しくもないのに時間が足りない。限られた時間の中ではできない。
私が今、外に出れるのは太陽が東の山からのぼる前の時間と、太陽が西の山に沈んでから暗くなるまで。

もっとやりたいのに、できない。
もどかしい。
苦しい。
ふと、涙が出る。

大好きだったこと。
当たり前のようにやっていたこと。
それが出来ない。
取り上げられた。
でも、つらいのは当たり前だ。

私は今、太陽の光が差し込んでいる間は外に出れない。
外に出ると、手とか腕とか首とか顔に発疹が出てしまうから。
今は発疹だけですんでいても、体に刺激(太陽の光)を与え続けることで、今後内臓疾患などを引き起こす可能性があるんだと医者に言われた。

「その症状が出ないように太陽の光は出来るだけ避けて生活するように」
「場合によっては、今の仕事(生活)を変える必要があるかもしれません」

そんなこと言われても、はいそうですか。なんて直ぐには言えなかった。
私にとっては簡単な話ではない。

それでも最近は努力して、日中家の中にいるようにいるようになった。

私の周りには外で仕事をする人がたくさんいるから、そんな人達からしたら、何で仕事しないんだ。天気もいいのに家の中で何やってんだ。って思われているかもしれない。
この前ある人と、最近は朝と夕方しか畑が出来ないんですよ〜って話していたら、悪気がなく言っているのは知っているけど「もうヌカカ(小さくて刺す虫、朝と夕方に多く発生する)が出てくるでしょ?そしたら大変だね」って言われて涙が出た。言われなくても分かってるよ。それでも限られた時間でやるしかないんだよ。って心が泣いた。

この前、夕方陽が沈む頃に山を下ろうとしていたら、すれ違った人に「もう歩ける時間ですか?太陽が沈みましたね」って言われて泣いた。涙がとまらなくなって大泣きしながら山道を歩いた。自分でもわけが分からなくなって、泣いた。何で泣いているのか、歩きながら理由付けしようと色々考えた。でも、いろんな感情が心にたまりすぎて蓋が抑えられなくなった。


なんでよりにもよって、好きなことができなくなるんだ。
私にとっては仕事でもあって、生きることでもあって、日常の楽しみでもあったのに。

それでも、なんでだよって思っても、太陽のことは嫌いになれない。
限られた時間の中で見ている野菜たちが、陽の光を浴びて、日々すくすくと、確実に育っているのを見ていると、太陽が嫌いだなんてことは口には出来ない。
むしろ「ありがとう」と日々思う。

私の体に起こっていることはそれはそれで受け入れないといけない。
山の中で暮らしていると、周りは、それぞれの場所で生きている者たちで囲まれている。
今、置かれているこの場所で、どう生きていくのか。
これまでと同じ暮らしは出来ないけれど、それはしょうがない。
今あるこの生をどう歩んでいくのかしばらく時間はかかりそうだけれども、探っていきたい。


通院で3日留守にして帰ってきたら、また少し季節が進んでいた。
野菜も大きくなっていた。葉物も大きくなってきたので少し間引いて夜ご飯にいただいた。
昨日の朝はアカショウビンの声が聞こえたし、カッコウだって鳴いていた。
鳥たちの声を聞いて、また季節が進んでいることを実感する。

今日は朝、陽が昇る前にモロヘイヤの種をまいた。
私が大好きな野菜。
去年はあんまり食べれなかったから今年はたくさん食べたい。
落ち込むだけでなくて楽しいときもありながら、希望も持ちながら暮らしていきたい。

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