どうしても気になっちゃう人がいるとき

「あの人もっとこうしたらいいのに」
「自分に頼ってくれたらいいのに」
「私が癒やしたい」

なんだかつらそうな人が見えると
ついついそんな気持ちになる人は

きっと
たくさん学んで
これはよい!と思うことを
たくさん知っている人なのだと思う

おいしいものを食べたら
人に教えたくなるように

自分が知っているよいことを
その人に教えたくなるんじゃないのかな

とっても優しい人だよね

ただ
そのとき

それを教えて喜ばれるのは
「その情報が必要とされている場合」
だけなんだ

おいしいケーキの情報を喜んでくれるのは
ケーキが好きな人だけで

ケーキが嫌いな人に
「あそこのケーキめっちゃおいしいよ!食べてみなよ!」
と言っても
それは余計なお世話になる

だから
オススメする前に
相手がどんな人なのか
相手を知ることが大切

だって
せっかくなら
オススメしたものを
喜んでもらいたいものね


そのとき

「なんだかつらそうに見える」その人は
実は自分が
「あの人つらそうだな」と見ているだけで

本人は本当はつらくないのかもしれない

相手が自分で
「つらいから助けて」
と言ったのなら
たしかにつらいのだろうけれど

それがないときの
「なんだかつらそうに見える」
という自分の見立ては
ただの自分の思い込みかもしれない

なんだかつらそうって
「あの人幸せじゃないんだな」
と見ているということで

「あなた不幸ですよね」
と言っているのと同じことで

それって 
相手に対して
とても失礼なことだ

「あの人もっとこうしたらいいのに」
「自分に頼ってくれたらいいのに」
「私が癒やしたい」

って
きっとこれは
相手の幸せを願っての想いなのに

その実態は
「あなた不幸ですよね」
というメッセージになってしまう

それは本当に
自分の伝えたいことなのかな?

じゃあどうするか

それは

自分からは
「なんだかつらそうに見える」あの人は
その状態ですでに幸せなんだ
と観ること

あの人はそのままで大丈夫なんだ
と観ること

本人が変わりたかったら変わっていくし
そのままならそのままでいい

あの人は自分で変わる力を持っているし
必要ならば助けを求める力も持ってる

だから大丈夫なんだ

自分にできるのは
それを信じることだけです

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Photo by しんぺいさん
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