見出し画像

3.牧師先生との出会い

 30歳になるまで、司法試験に合格できず定職にも就かないまま過ごした後、私は両親から「もはや支援はできない」と告げられました。私自身も、いつまでもこのような生活を続けることはできないと感じていたので、就職先を探すことにしました。

 幸い知人の紹介で専門学校で就職させて頂くことができ、数ヶ月たって仕事に面白さも感じるようになっていた矢先、私は職場から、しばらくの猶予期間の後に辞めるように、と告げられました。

 後に振り返ってみると、自分自身に仕事に対する考え方の甘さや、社会経験の乏しさから来る至らなさがあったとも感じますが、当時の私にとっては、まさに青天の霹靂で、様々な思いが交錯しました。
 せっかく就職できたというのに「ここでも上手く行かないのか」という自分に対する不甲斐なさ、上司や守ってくれなかった同僚に対する憎しみ、これからどうやって生きていけば良いのか、喜んでいた両親に対する罪責感などなど・・・。
 こみ上げる様々な感情と将来に対する不安に押しつぶされそうになり、橋を渡る度に、「いっそここに飛び込んでしまえば、楽になるのに・・・。」と感じ、自殺することすら考えるようになっていました。

 でも自殺する前に、もしできることなら、誰かに話を聞いて欲しいという、かすかな欲が残っており、後から考えると不思議でもありますが、なぜかその時、教会を訪ねてみようという想いが与えられました。
 とても落ち込んでいた中で、クリスマスの時に聞いた讃美歌を歌っていた人達の姿や、声を掛けてくれた学生さん、三浦綾子さんの本のことなど、それまでに出会った一つ一つの小さな種が私の中にそのような想いを与えたのかも知れません。

 職場で辞めるよう告げられた数日後、その日は平日でしたが、途方に暮れていた私は、少しでも早く誰かに話を聞いてもらわなければ、どうにかなってしまいそうな気持ちになっており、職場からの帰り道に電灯が灯っている教会があったら訪ねようと思いました。

 そして、記憶を頼りに一軒一軒教会のある場所に行っては、外から様子をながめ、また、道すがら目にする教会があれば、電灯が灯っていないかと見て回りました。

 「あぁここも人がいる気配がない・・・。」「あぁここも駄目か・・・。」
 後に教会に集うようになると平日の夕方にも集会をやっている教会は、それほど多くないのはよく分かります。でも、その当時の私はそうしたことも知らず、結局職場から家に着くまでの間には、探しても探しても電灯の灯る教会は見つかりませんでした。
 「仕方ないから今日は帰って寝ようか・・・。」そのような思いもありましたが、ひどく落ち込んだ気持ちを抑えることができませんでした。
 その時ふと、雪の中で、それに負けない笑顔で歌っていた人たちを思い出しました。
 ここまで探したのだから、最後にあの教会に行って駄目なら諦めようと思い直し、その教会へと向かいました。

 辺りは日も暮れて暗くなっていましたが、その教会を訪ねると、やはり電灯は消えていました。
 「ここまで来た以上は、ぜひお話を」と教会の呼び鈴を押すために指を乗せたものの、「もし、この扉の向こうが、カルト宗教だったら・・・」と指に力を入れる一瞬、躊躇を覚えました。
 しかし、結局、話を聞いて欲しいという想いが勝り、意を決して呼び鈴を鳴らしました。

 中から音が聞こえて、中年の男性が出てこられました。
 あぁ、この方が牧師なんだ、と思ったら、その方は、自分は宣教師だと言われ、「この教会の牧師を呼んできますね」とどこかに行ってしまわれました。

 勇気を出して呼び鈴を押したはずが、一人ポツンと取り残され、落ち着かない気持ちで、そわそわしながら牧師という方はきっと白髪の老人でも出て来られるのかな?などと想像し待っていました。

 しばらくして現れたのは、先ほどの男性よりもさらに若い男性で、胸に「モルツ」とビールの銘柄の書かれた黄色のフリースを着た方です。
 自分と歳の近そうな牧師を名乗るこの方に親近感を覚えながら、私は教会の中に通されました。
 この時、呼び鈴を押したことが、私の人生を大きく変えていくことになりました。(4.へ続く)

「求めよ。そうすれば与えられるであろう。捜せ。そうすれば見いだすであろう。門をたたけ。そうすればあけてもらえるであろう。」

(口語訳 マタイによる福音書7章7節)

画像は、photo_kotobaさんのものを使わせて頂いてます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?