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5.初めての礼拝と誰かの祈り

 牧師先生のお誘いを受けて、初めて礼拝に出席すると、先生は礼拝の中で、私のことを「聖歌隊の讃美を聞いて教会に来てくれた方」と紹介して下さいました。
 きっと失業した人、と紹介するのはマズいと思われたからなのでしょう。

 それでも、特に聖歌隊の皆さんは、「神様に向かって讃美を歌ったことで、神様が応えられた!」と言って、とても喜んで下さっていました。

 また、その後に教会に集う人たちとお話しする中で、教会の方々から、実は「若い男性が教会に導かれるように。」というお祈りを続けていたんだ、というお話も聞かせて頂きました。

 誰の紹介もない中で突然教会に来るようになった私の存在は、教会の皆さんにとっては、まさに神様が祈りに応えられた存在だと思われたそうです。
 迎え入れる教会の皆さんがそのように特別な目で受け止めてくれていたことからか、私は本当に手厚く歓迎されました。

 そのような歓迎して下さった方の中にあるご夫妻がおられ、そのお二人は病気で目が見えないと言われていました。
 そして、「これまでに教会に来たことはなかったのですが、礼拝に初めて出させてもらいました。」とお伝えすると、奥様が「ちょっと顔を触って良いかしら?」といって初対面の私の顔をペタペタ触り始め「あら、スッキリした顔立ちねぇ~」などと言われていました。

 いきなり初対面で顔を触られるのは、冷静に考えると気持ち悪くなりそうなものなのですが、心の傷ついてた私にとっては、私の存在をこのように喜んで下さること自体が嬉しく、「何でこの人達はこんなに歓迎して下さるのだろう?」と、不思議に感じるほどでした。
 後に祈りの経験をしてみて、神様が祈りの応えが与えられるとき、私だけがうれしいのではなく、私にとって大きな意味のあることが、同時に他の人にとっても、大きな意味があり、共に重大な意味のある喜ばしいことがなされているように感じます。

 神様は、この時も大きな取り計らいをして下さり、歓迎される教会の皆さんにも、歓迎される側の私にとっても、大きな喜びを与えて下さいました。
 
 そして、このような手厚い歓迎を受けていく中で、やはり神様は、神様にに立ち返ろうとする者に対して、大きな備えをして歓迎されることを体験として教えられたのです。

「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。」

(口語訳 ルカによる福音書15章20節)

画像は、amaiaさんのものを使わせて頂いてます。

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