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「即興音日記#144アートの中で」所感

既にできることの範囲内でひとつの作曲をやり終えてしまったら、創造とは言えない。
自分の書く全ての曲に対して、何かひとつ、それまでの自分がやったことのないことをやる、というテーマを課している。というか、作曲に取りかかると、本能的自動的にそうなる。もはや考えていない。
私は創造したい。

‐人間賛歌
そうやって創造した音楽は基本的にすべて録音する。そうやって書いた一つの曲を、録音どおりに再現しようというマインドは私にはまったくない。どのような技術と幸運をもってしても、録音された表現の完全な再現は不可能だと思う。非常にポジティブな意味でそう思っている。
人間という存在の理として、我々はさっきと同じ一秒をもう一度生きることはできない。そんな人間というものが音楽をやっているのだから、音楽もまた然り。これは私の人間賛歌。

‐再現は不可能
オーディエンスとして。もしも、ライブで「あの曲はCDどおりのメロディーとアレンジで聴きたかった」と残念に思ってしまうぐらいならば、私はその曲の録音を、自分にとって快適な環境に浸り、自分の都合最優先で聴く。CDは、いついかなる時であっても、毎度寸分たがわぬメロディーとアレンジでその曲を再現してくれるのだから。翻って、生身の人間が行うライブに録音音楽の完全再現性は端から求めていない。とてもポジティブな意味で。
そしてそれは、ライブやコンサートにおける、録音音楽作品の再現に価値を置く方々を否定するものでは全然ない。

‐私にとっての創造
他者にとっては全く何でもないことでも、私の工夫に全く気付いてもらえなくても、自分の中での未踏の行為、新規の行為が含まれるように曲を書く。それが創造的な努力。その努力はいくらでもすると決めている。
創造は喜び。喜びが増す方へ私は驀進する。

‐喜びの瞬間
一昨日の即興作曲「即興音日記#144アートの中で」にも、そのような喜びの瞬間が訪れた。私が関わっているタッチアーツプロジェクトの、スペースMa(ま)で開催されたイベント「音とアート」のアート創作セッションのときに、ベランダに出てクラシックギターを弾き始めようとしたら、タッチアーツプロジェクト代表の森すみれさんが出てきてくれ、一緒に鍵盤ハーモニカを吹いてくださった。いつも一人でやっている即興作曲の現場を、共有してくださる方がいた。鍵盤ハーモニカの音に誘われて自分なりに挑戦できた瞬間が幾つもあった。
共演後は、お互いにバタバタしていて、このお礼をすみれさんに直接言えずに帰ってきてしまった。すみれさんがどんな気持ちで私と「一度きりの即興を遊んで」くださったのかは分からないが、私は嬉しかったし、楽しかった。

‐人に会いに
このように、ご自身の表現を持っている方と共に未踏の音楽をつくるのは意義深い、と再認識した。人に会いにその場所へ行く。私は、人といっしょに、こういうことがやりたいんだと「即興音日記#144アートの中で」の動画を見返しながら頭の中で呟いている。

https://youtu.be/SRhV2mFgggs

*動画は12分39秒あります。ほんの10秒ほどでよいのでYouTubeを覗いていただけると嬉しいです。曲前半の6分間強はすみれさんと二人で、後半の6分ほどは私ひとりで思うままにやっています。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
藤崎博和


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■即興音日記#144 アートの中で
-new song “dairy improvised music #144 do something in the art”
-10/31/2020, recorded at “Space Ma” in Kobe
-music time:12’39”

mori sumire:melodica
fujisaki hirokazu : improvised composition, guitar, voice, video editing

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