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カンボジアの記憶

2024年、友人に新年のあいさつを送ったところ、タイで新年を迎え、これから家族でカンボジアに向かうとの連絡をもらった。
カンボジアか。
そういえば昔々にいったすごい場所だった。家族でいくのか、あそこにと思ったのが正直なところだ。

その時の楽しくも危険な旅路を思い出して書き残したいと思って筆をとった。

1990年代後半、まだ「地球の歩き方」も発売されていなかった、カンボジア。だからこそ興味を持ち、旅行に行くことにした。
英語の読み書きも決して、お世辞にもできる方とはいえなかったが、ガイドブックは欲しいから、いまでは考えられないけど、東京のブックセンターに行き、ロンプラ(LonelyPlanet)を買い、それを片手に旅に出ることとなった。いまならスマホがあればきっとなんとかなるのか見知れないが、そんな便利なものはなかったので、分厚い本を買うしかなかった。
買ってみたものの、もちろん理解できない。それどころか、辞書がないと読めない。恐ろしいことに写真もさほどない本だったと記憶している。ここまでくると正直、学生時代にバックパッカー経験のある友人頼みであったことは否めない。ただ今考えると”こいつ”もカンボジアなんぞには行ったこともなく、誘いにほいほいとのる私とその仲間たちに、しめしめと思いながら誘ってきたのだと思う。少し脱線するけど、こいつらとは、男7人でカリフォルニアのディズニーランドホテルにとまって遊び、その後LAからベガスまでレンタカーで行ったり、その他もろもろの遊びを一緒にやる悪友でもあった。もちろんカリフォルニア州が全部見えるような地図で移動するから、迷子になったりで、おかげでベガスは疲れてただただ眠るだけで賭け事をしないというなんとももったいない旅だった。

当時は、電波少年という番組で、猿岩石のヒッチハイクの旅をテレビで見て、強い刺激をうけ、このまま刺激のない生活でいいのか?なにかやってみたい、何か刺激が欲しいとおもって旅に出た人も多かったように思う。

私もその一人。
そう、考えなしで、気軽で、無知で、危険な旅。
気軽な小僧が思い浮かぶ「アンコールワットをこの目で直に見てみたい」というとても胆略的な欲望だけで先に突き進む。
とはいえ、危険を察知する奴もおり、ふるいにかけられた面子だけで向かうことになる

タイ経由、カンボジア行きの航空券を買い、買ったばかりで、汚れもないピカピカのバックパックを背負って、その上、プノンペンも目的地のシュムリアップの宿すら予約もなく向かうこととなった。そう無知だから何とかなるよねって感じ。しかもプノンペンからシュムリアップ

まず、到着地のタイでいろいろあった。が、それは、今、思いだす話ではない。脱線しすぎると先に進まないからね。
そう、カンボジアだ。

出発前、ミーティングというなの飲み会をやる。飲むのが目的の飲み会。ミーティングなんてまったくなく、彼の地のまだ見ぬ刺激を肴に飲む。ただ、当時、腹の弱い私は、唯一便所の事情が気になっていた。まず最初に検討したのは、便所の話だった。
そう、公衆トイレはもちろん、宿屋のトイレだって紙なんかない可能性が高いといわれた。
”トイレ”なんておしゃれな用語は通用しない。文字通り「便意という欲求を満たす所」らしいことはわかっていた。現代人の私は何としても紙で拭きたいという欲求だけは決して譲ることができないと考えていた。水が置いてあるから手で洗えとか、ロープが張ってあるからそれを使えだの余計な情報だけを聴いていた。だからなおさら便所のあり方だけは片時も忘れずに考えていた。

いまでもこれは最高のアイテムをおそわったと思っているのは、持ち運びで絶対に有効な紙の使い方だ。今でこそ、携帯用ウォシュレットなどをもって旅に出る人もいると聴くが、当時は紙をいかに、旅行期間中、コンパクトで確実に持ち歩けるかに人生をかけていたといっても過言ではない。

トイレットペーパの周りをガムテープでぐるぐる巻きにして、固定する。その後、真ん中の芯を抜き、押しつぶして平らにするのだ。これでころころ転がらない「私専用のロール」ができる。今でいうウェットテッシュの詰め変え用みたいのものを作り鞄に押し込む。場所もとらず、入管・税関で鞄をあけられても、胸を張って「携帯用トイレットペーパ」だといえるできだった。これ考えた奴神だなと思っていた。
今考えれば他にもいくらでもやりようがあったように思うし、入管・税関のおっちゃんも、「おい、そこの日本人、もう少しスマートにやれよ」と思われたのではないかと思う。

カンボジアにつくと、空港からの移動でタクシーでプノンペン市街に入る。英語のしゃべれるタクシーの兄ちゃんにいろいろとホテルを紹介してもらったのに、いうことを聞かず、安いホテル(3ドル/泊)に無理やり行ってもらった。にもかかわらず、街を歩く私の第一声は、「この町、なんかおっかねーな。死臭がするよ」という失礼極まりない発言だった。
自ら危険に身を投じる行為。そう、刺激がほしかっただけだったと後から大いに反省したのを覚えている。その後、彼にはシュムリアップからプノンペンにもどった際にもお世話になり感謝したことを覚えている。

楽しい?楽しいカンボジアは始まったばかりだ。



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