見出し画像

金沢旅行記

中学1年で知り合ってから、今日に至るまでずっと仲良くしている友人がいる。付き合いの長い友人は他にもいるけれど、中1の初めから今までこの濃度でずっと親しいのは、彼女だけなので、貴重な存在だ。最近電話をしていたとき、もう10年も友達なのに、そういえば2人で旅行行ったことないよね、という話になり、金沢に行くことにした。

7日夜。もしかしたら行けないかも、ごめん、と連絡が来る。想定内なので、大丈夫だよ、と返信しながらも、当日朝に声をかけても来てくれそうなフットワークの軽い友人を脳内検索する(結局思いつかなかった)。1人で夕飯を食べながら、向こうが荷造りするのに合わせて通話。寝る前にもう一度だけ電話が来て喋って、明日に備えた。

8日。無事に東京駅で合流。一人旅を覚悟していたので、来てくれたのはとても嬉しかった。駅構内で駅弁を購入。私は鶏の弁当、友人はおこわ弁当みたいなやつを買っていたと思う。

10時24分、新幹線発車。ドア閉まりまーす、みたいな派手なお知らせ無しに、ヌルッと動き出したことに2人でビビる。中高の頃、新幹線に乗る練習を体育館でさせられたことを思い出して笑う。

動き出してから10分くらいだったと思うが、友人の彼氏から名古屋転勤になったと連絡が入る。大騒ぎ。もう無理だ、寂しくて無理、別れて他の男に乗り換える、などと話す。話す、というか、私は本当に大したアドバイスができず、そしてそのことを向こうもわかっているので、壁打ちの壁のように、ひたすら「そうだねえ」と返す。話し疲れたところで、まだ11時過ぎなのにお腹が空いてしまう。車内用のお菓子を調達してこなかったことを2人で猛反省し、「高校の頃は20分休みに早弁してたし、11時過ぎならまあok」と自分達に言い訳しながら早々に駅弁を開封。めちゃくちゃ美味しかった。

画像1

お腹がいっぱいになると眠くなる。睡眠。

途中、本当に「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という瞬間があり、康成だ〜と話した。

12時52分。金沢着。

画像2

荷物をホテルに置きに行くか相談したが、別に大丈夫、ということなので、そのまま妙立寺へ行くことに。友人が行きたいと挙げてくれた有名観光地の1つで、市内バスのフリーパスを購入して向かった。施設内の見学は予約制になっており、少し早めに着いてしまったので、お寺のお向かいにあった和菓子屋さんできびだんごを買う。きびだんごって初めて食べた気がした。美味しかった。

画像3

それでもまだ時間があったので、座って名前が呼ばれるのを待った。高校の修学旅行の話をした気がする。祇園寺みたいな名前の、苔がいっぱいあるお寺がすごく印象に残ってるって言ってた。行きたい。鞍馬山には2人とも登ってた。
(後日、高校の先生たちと話をした時、祇王寺だと思うよ、と教えてもらった。鞍馬山は、本来なら一番時間のかかるコースで、ホテルへ戻る時間も一番遅いはずだったのに、我々の元気が良すぎて予定より2時間も早く戻ってきてしまったらしい。登山スピードのあまりの早さに、添乗員さんもゼーハー言ってて本当に可哀想だったとか。「時間があるなら○○神社も行きたい!」「鴨川沿いを歩きたい!その辺で降ろせ!!」ってあなた達本当にうるさかったんだから...と先生に言われたが、何も覚えていない)

画像4

名前が呼ばれ、1000円を払って中へ。ストーブの近くに座らせてもらい、音声による妙立寺の説明をきく。
その後参加者が10人弱の小グループに分かれ、案内人に建物の中を案内してもらう。中は撮影禁止だったので写真を撮ることはできていないのが本当に残念。いや、写真では何も伝わらないか。そこらじゅうに隠し扉、隠し階段、隠し部屋、落とし穴があって、もうワクワクしっぱなしだった。忍者寺という通称があるが、忍者は一切関係なく、前田家が徳川との戦いに備えて作ったものだそう。当時はお城以外に3階建て以上の建物を作ることは禁じられていたので、妙立寺は外見は2階建て、中は4階7層となっている。
土木学科の血が騒ぐ。図面にしたい、と話していた。自分が今いったいどこにいるのか、全く分からなかった。めちゃくちゃ満足度高かったのでおすすめ。何周でもしたい。

続いて徒歩圏内にあった、にし茶屋街へ。金沢市内には有名な茶屋街がにし・ひがし・主計町の3つあり、全てを回ろうとしていた。
にし茶屋街は規模としてはそこまでではなかったが、観光客がまばらだったこともあり、建物の雰囲気を1番感じられた。
茶屋街の端に落雁の専門店を見つけ、お母さんが落雁大好きだからお土産に買うんだ、と言って楽しそうに選んでいた。

画像5

画像6


甘いもの食べたくない?ということで、バスに乗ってひがし茶屋街へ。みんながインスタに写真あげてるので、初めて来た気がしなかった。(何故か、いい感じに着物を着た女性がいい感じに座っていたので、顔写ってないし遠いしokかな、とか思って勝手に撮っちゃった。素敵だった)

画像7

すぐ入れそうなお店に入り、甘いものを食べる。わたしは抹茶くず湯。友人はパフェとお抹茶を食べた。抹茶くず湯はとろとろした温かくて甘い液体で、とても美味しかった。ただの液体なのにお腹に溜まったのがびっくりした。

画像8

食べ終わってからもしばらく、グダグダと喋る。かなり長い時間滞在した気がする。お店の回転率を下げて申し訳ない。
夕飯は市場で海鮮丼の予定だったが、2人して「なんか肉食べたくない?」という意見で一致し、駅前の焼肉店を検索。話がまとまり、ようやくお店を出た。

ひがし茶屋街を散策。
雑貨屋さんが凄く可愛かった。伝統工芸品をメインで扱ったお店で、柿の木で出来たブックカバーに一目惚れ。しばらく悩んだが、数時間バイトすればいいだけだから、と自分に言い聞かせて購入。なんとなく見た目で惹かれて買ったものだったが、黒柿という貴重な木材を使用したものらしい。

「黒柿」とは、樹齢数百年、白と黒の美しい模様を持った希少な柿の古木です。 黒柿には年輪とは異なる独特な紋様が幹に現れます。 黒柿は美しい木目と滑らかな木肌、導管が細く指物など細かい細工がしやすい木材ですが、くるいやすいため職人の技量が試されます。

いい買い物したわ。帰ってきた翌日は、気に入りすぎて家族で出かける間にも持ち歩き、弟には呆れられた。

私の散財で財布の紐が緩んだのか、次に入った雑貨屋さんでは友人が4400円のピアスを購入。あーやばい私いま躁だわ、これ以上散財しそうだったら止めて、と言われた。

これも私が買ったブックカバーと同じで、職人が作ってる系の、一点一点模様が違う陶器のピアスだった。この模様が馬の横顔に見える、いや見えない、あ、見えてきた、と、店員のかわいいお姉さんも含めた3人で大いに迷った。3択まで絞れて、「さっちゃんならどれにする?」と言われて1つを指差したら、それを抜いた2択で考えてた。え、そういう消去法?
ホテルに帰って早速付けてた。似合ってたな。

その後は川を渡った反対側にある、主計町茶屋街へ。ひがし茶屋街よりは落ち着いていて、観光街というよりは、普通に人が住んでいるんだろうな、と感じた。あまりにも密集して建っているので、これ建築法的に大丈夫なの?アウトじゃない?としきりに不思議がっていた。さすが都市計画志望。

画像9

主計町茶屋街は、まるで物語が始まりそうな素敵な路地がたくさんあって、2人で大騒ぎしながら迷路のような路地を歩き回った。ものすごく楽しかった。

画像10

その後はバスに乗り、駅前へ。バスの中で、浪人して1年遅れで大学に進学した彼女に私が合格祝いとして贈った本の話をしてくれた。正直、あげたことすら忘れていたのだけど、私はいつか一緒に回ろうね、と言って日本の絶景の写真集と、あと単純に好きな本として伊坂幸太郎『砂漠』を贈ったらしい。話を聞いているうちに、たしかにプレゼントしたな、とだんだん思い出してきた。『砂漠』がとても面白かった、西嶋最高だね、麻雀やりたくなった、と感想を話してくれた。嬉しかった。

そんなことを話しながら、探しておいた焼肉店へ行った。
カルビとかハラミとかタンとか王道に加え、赤身食べ比べセット、という、あまり名前を聞かないマイナーめな肉の部位を食べ比べることの出来るメニューを頼み、お互いに食レポごっこをした。おバカでアホな動画が2本も残っていることが、今はとても有り難い。Twitterにあげよ、これファボ来なかったらスベってるのうちじゃなくてさっちゃんだからね、と責任転嫁されたので、仕返しにこちらもツイートした。

お互いに知らないことわざを聞いて、それっぽく説明するゲームもやった。一滴も酒飲んでないのに、ほぼ酔ってるみたいなテンションだったから、何回かやったような気がするのに大爆笑してた記憶しかなくて、全然内容を覚えていない。乳母日傘のことを、立場が弱く虐げられていた女性達が、自分たちの女性としての美しさを取り戻そうと奮起すること、みたいな内容の説明をしていたような気がする。実際は、『乳母に抱かれ、日傘をさしかけられるなどして、ちやほやされながら大切に育てられる意』らしい。

あとは、友人から、私にとって自分はどういう存在か、と聞かれたので、お互いにとってお互いがどういう存在か、みたいな小っ恥ずかしい話をした。私は特に親しいと(少なくとも自分では)思っている友人が3人いて、1人は中高で一緒に過ごした時間はたぶん一番長くて、頭を空っぽにして話せる人、1人は心から尊敬できて、いつも適切なアドバイスで私のことを上に引き上げてくれる人、そして貴方は、お互いの嫌なところとか弱みとか見せ合って知っていて、その上で仲良くしてくれている唯一の人だ、という話をした。うちもそうだな〜と、嬉しそうに納得してくれていた。

近くのファミマで朝ごはんを買って、ホテルへ向かった。
ホテルに着き、ダラダラ。お風呂に入って、髪を乾かす。
友人の話によく登場していた、学科の男子の写真が見たい、と言うとビデオ通話することになり、ノリでしばらく話した。
その後偶然、友人の予備校時代からの親友からも電話がかかってきて、こちらもノリでしばらく通話した。所属コミュニティが大学入学を機に別れてから、どういう人たちと仲良くしているのか、話でしか聞いたことがなかったから、紹介(?)してもらえて凄く嬉しかった。

あとはひたすら話をしていた。
楽しい話もたくさんしたはずなのに、涙まじりの声ばかりが蘇る。自分でもコントロールできない、突然悲しくなって泣き出してしまうんだと言っていた。楽しい旅行に来てるのに、泣いてごめん、困らせてごめん、気が緩んじゃってるんだと思う、ごめん、本当にごめん、ごめん。

別に謝ることじゃない、嫌な気持ちになんてなってない、次ごめんって言ったら1回100円罰金とるからね、と言うと、号泣しながら「謝罪の意を表したく思っております」と回避してきて、思わず笑っちゃった。

少し落ち着いてからは、私自身が最近夢や目標を失っている状況に焦燥感を感じており、やりたいことを書き出したいのだという話をして、山手線ゲームのように、やりたいことを順番に言っていった。
自分のやりたいことをどうにか絞り出し、メモるのに夢中になっており、友人が挙げていたことをあんまり覚えていないのが悔やまれる。オーダーメイドパンプスを作りたい。院試に合格したい。バンド活動を再開したい。メジャーデビューしたい。ってのは覚えてる。あとは私の「薄めのハンカチが欲しい」に爆笑していた。それはさっさと買えよって。翌日立ち寄った雑貨店で「薄めのハンカチあるよ!」と教えてくれたので、早速購入して1つ消した。

夜は眠れなくて辛そうだった。(私は寝る直前になぜかブラックコーヒーをガブ飲みしており、別の理由で全く眠れなかった)

9日。朝は洗顔をするのを面倒くさがって、洗顔するorしないだけで10分くらいグダグダしてたと思う。結局洗いに行ってた。偉かったね。

昨晩コンビニで買った朝ご飯を食べる。私が味付けゆでたまごを食べていたら、予備校時代に自習室でゆでたまごを食べていたら周りから笑われた、って不満げに話していた。

ホテルをチェックアウトし、またバスのフリーパスを買ってひがし茶屋街へ。加賀棒茶というほうじ茶が有名で、お茶をお土産に買いたいという話を昨晩していたので、加賀棒茶の専門店を2軒回ることにした。

一軒目ではお互い自宅用に大きめのサイズのほうじ茶を購入。店内に一歩入っただけで強くお茶の香りがして、素敵な空間だった。

せっかくだからもう一度ひがし茶屋街を散策しよう、ということでもう一周した。お土産も追加で購入した。友人は、男友達にネタで渡すのに何が1番面白いか、とかなり迷っていた。金箔のスキンケアセットとリップグロスで迷って、確か最終的にはリップグロスを購入していた気がする。

その後近江町市場の方向へ歩きながら、2軒目の加賀棒茶専門店へ。私は翌日会う予定があった先輩に小さめのお茶を、友人は彼氏用になんか綺麗な入れ物に入ったお洒落なやつを買っていた。ここは1軒目より格式高い感じで、the 老舗っていう空気感だった。

市場を目指しながらも気になったお店にはふらりと立ち寄り、15分くらい歩いた。

市場に到着し、独特の雰囲気と活気に大興奮。友人はすれ違った小さな女の子が食べていた、プラスチックコップに入ったいちごを羨ましがり、見つけるとすぐ購入して嬉しそうに食べていた。

画像11


私も家用に甘海老のおつまみを購入し、お昼ご飯に。全体的に思っていたよりも高かったので、市場全体を一周して手頃な値段のお店を探した。最終的に選んだお店では1日20食限定のバラ丼が残り1食で、協議の結果私に譲ってくれた。めちゃくちゃ美味しかった。ありがとう。

画像12

その後自宅から「のどぐろが食べたい」とLINEが入ったので、勢いでのどぐろを買った。刺身でも干物でもなく、魚そのもの!!これは私にとってかなりの挑戦だった。魚屋のおじさんが保冷バッグを用意してくれて、頑張って家まで持って帰った。意外と重くてめちゃくちゃウケた。

市場からもう一度バスに乗り、21世紀美術館へ。

画像13

前日が休館日だったからか、普通に春休みだからか、大行列ができていた。ただの白い壁でひたすら自撮りをする同年代(?)女子たちに恐れ慄き、ミュージアムショップだけ見て早々に撤退。彼女たちはいったい何を撮っていたのだろう…文化の違いを感じた。

友人はミュージアムショップで彼氏へのプレゼントを買おうとし、悩んでいた。私が立ち読みしてた新書半分が読み終わるくらいの時間、悩んでいた。この色とこの色、どっちがいい?と聞かれて答えると、今度は私が選んだ方を最終的に購入していた。意見を採用してもらえた。昨日のピアス選びはなんだったんだ。

21世紀美術館を後にして、徒歩圏内にある兼六園へ。甘いものが食べたくなったので、コインロッカーに荷物を預け、まずはソフトクリームを食べた。

画像14

ソフトクリームを食べながら、最近会った高校同期の話になり、お互いに知ってる範囲で同期達の近況を共有した。うちらってあんまり交友関係被ってないよね、と話した。

池にかかる橋でしゃがみ込み、鯉を眺めた。三浦しをんの『月魚』って最高だよね、という話をした。鯉は私たちが餌を持っていると勘違いしているのか、たくさん集まって来て水面で口をパクパクしていた。2人で「かわいいね〜」とその様子を眺めていると、近くにいた同年代女子2人組が「キモっ」と呟いて去っていった。たぶん私たちの会話は聞こえていなかったので悪意があった訳ではないだろうが、なんかウケちゃって顔を見合わせて笑った。

その後は庭園をぶらぶら。友人はバンドマンで、作詞作曲もしているので、どういうことを考えて、どういう風に曲を書いているのかを聞いた。私自身は本当に「創作」の能力値が低い自覚があるので、独特な感性がとにかく眩しかった。

東屋みたいな椅子があるところで、友人が作って1番気に入っている曲の音源を聴かせてくれた。まだ仮歌だったけど、とても良かった。他の楽器も入れて、完成したらまた聴かせて、と頼んだ。

21世紀美術館の滞在が予想より短くなったせいで、新幹線までの時間が妙に空いてしまった。サイゼで潰してもいいけど流石に3時間は長すぎる、漫画喫茶行くのもなんか勿体ない…と相談した結果、駅前のアパホテルの温泉に入りに行くことに。

バスに乗って駅まで戻り、温泉へ行った。バスの中では、最近ピアスを開けた私に、セカンドピアスの選び方や普通のピアスのボディピアスの違いを丁寧に教えてくれた。

温泉では、サウナに入ったことがなく、そもそもすぐ熱くなってしまってお湯に長時間浸かれないという友人を「一回入ってみ?世界変わるよ?」と誑かし、最後は強引に水風呂に沈めた。奇声&爆笑で大騒ぎ。シャワーは出しっ放しドライヤーは付けっ放しの彼女の後を、それぞれ消しながら歩いた。

レストスペースもあったので風呂上がりにゆっくりした後、サイゼリヤで最後の夕飯。
サイゼでは絶対フォカッチャを頼むらしい。食べたことなかったしそもそもメニューにあることも知らなかった。あとはキャベツのペペロンチーノがメニューの中で最もコスト対お腹の膨れ具合が良いのだと教えてくれた。それも食べたことなかったし目にも入ってなかった。
逆に、私がサイゼでは100%頼む辛味チキンを初めて見た、と言っており、世界の見え方とはなんと不確かなものか、と思った。

あとこの時、ニュースとかワイドショーをどう思うか、という話から、人が死ぬということに対してどう応答するのか、という話題になり、少し意見が分かれた。

私は京アニの事件とそれを巡るメディアの対応を受けて、報道の意義が全くわからなくなってしまい、自分の中で整理がついて怒りが収まるまでは(もしくは報道側の姿勢が変わるまでは)、全てをボイコットしようと思って新聞もテレビも見なくなった。

友人もニュースは出来るだけ見ないようにしているが、それは私の理由とはもちろん全然違っていて、誰かの死のニュースを耳に入れたくないから、と言っていた。
ここからは正直私が共感しきれなかった部分が多いので、発言を完全に覚えているわけでもないし、もしかしたら解釈も間違えているかもしれない。
誰か1人が死んでしまったのに、他の人はそれに影響されることなく普通に生きることができてしまうこと、有りがちな表現を使うのであれば、地球が回り続けていることが嫌なのだと、私は理解した。

私は反論した。でも仕方ないじゃん。1人が亡くなったからって、それが例え親しい人だとしたって、それを追って全員死ぬわけにもいかないじゃん。生きなきゃいけないじゃん。

この時の自分の言葉が、今の私を追い詰めている。

うーん、それはそうなんだけど、でもさ〜と、反論したいけど自分でも自分の感覚が分かりきっていない様子だった。彼女の感受性が本当に豊かで、繊細で、人のことを本気で考えられる人であることは長い付き合いで十分に知っていたので、それはたしかに心が疲れてしまいそうだ、と思った。

サイゼを出ると、行きの新幹線の反省を生かし、駅構内のセブンで、帰り道用のお菓子を購入。いちごのトッポとチーズのスナック菓子をそれぞれ購入した。

19時18分。新幹線に乗り込み、行きと同様、またヌルッと発車。お菓子を食べながらお喋りしていた。
ホテルの夜と同様に、帰りの新幹線でも、突然スイッチが切り替わったように泣き出してしまうときがあった。なんて言葉をかけてあげれば良かったんだろう。どんな行動が救いになったんだろう。欲しい言葉を何もかけてあげられなかったように思う。

落ち着いている時間帯には、ポツポツ話しながらスナックをつまむ。コロナ対策で自動販売機も車内販売もないのに、チーズのお菓子がしょっぱ過ぎて手持ちのペットボトルの水をほとんど飲み干してしまい、美味しいけどこのままじゃ干からびる、ということでお菓子の方を封印した。でもやっぱり食べたいので、長野で停車する時にホームに降りて飲み物を買おう、ということになる。

行きの新幹線でも話題に上ったが、私たちは新幹線の停車時間の短さを中高で執拗に教え込まれてきた。発車ベルは派手に鳴らないし、戻って来れなかったらどうしよう、でもめちゃくちゃ喉渇いたしお菓子食べたい、自販機1つに2人で行っちゃうと時間なくて買えないかもしれないから、分散しよう、Suicaの方がすぐ買えるかな、ヤバい残高ない、と、2人で大騒ぎ。結局私が隣の車両の扉で待機し、新幹線が長野駅に滑り込んでドアが開いた瞬間、ホーム上の自動販売機に向かってダッシュ。横目で隣の車両を見ると、友人も同様に飛び出す姿が見えた。思い出すとくだらなさすぎて、ほんとにウケる。

大急ぎでペットボトル1本を買い、車両へ乗り込む。座席に戻るとほぼ同時に友人も帰ってきて、お互いが無事に帰還したことを喜び合った。結局新幹線は長野駅に少なくとも2分くらい停車していたので、あんなに急ぐ必要は全くなかった。バカみたいだけど、大笑いしたことを昨日のことのように覚えている。

あとは、短歌の話をした。私は3年生の秋に授業で初めて短歌に触れてから興味を持つようになり、学科の友人にオススメを聞いたり自分でも歌集を買ってみたりしながら、徐々にハマりつつある。ちょうどこの前会った時に、特に気に入っている2冊を貸していたので、その話をしたり、私の学科の友人は自分でも短歌を作っているのだという話をした。そうすると彼女が「じゃあうちらも東京着くまでに一個作ってみよ」と言い出したので、2人で短歌を作ることに。数十分頑張ったが全く形にならなかったので、学科の友人にヘルプを求めることに。彼女に私の携帯を貸し、短歌作成依頼を送ってみた。

画像15

訳の分からない急な連絡に対して、学科の友人は快くokしてくれ(神)、しばらくしていくつかの短歌が送られてきた。実は彼が私にできたものを送ってくれた2,3分前にちょうど東京に到着し、私たちは別れてしまっていたため2人で一緒に読むことはできなかったのだが、作品を彼女に送ると大興奮&大喜びだった。お母さまにも一部始終を報告していたようで、後日、あの時の短歌を送ってもらえないかと連絡があった。

23時過ぎに帰宅してから私は台所を魚の匂いでプンプンにさせながら、なんとかのどぐろを捌いて食べた。あんなに必死にきまぐれクックを視聴することはもうないだろう。のどぐろは私の拙い技術により可食部を大幅に減らしたものの、とっても美味しかった。刺身・塩焼き・あら汁を食べたが、塩焼きが1番美味しかったかな。

画像16

そして何より、魚を3枚におろすことの難しさを知った。スーパーで売られている刺身のパックを誰かが捌いてくれているのだと思うと、世界を見る目が変わった。以降、スーパーで魚売り場の奥の作業場みたいなところを毎回覗き込んでしまうようになった。

出来上がった魚料理たちの写真を友人に送り、褒めてもらい、私の金沢旅行は幕を下ろした。



5日後、14日の昼過ぎ。お母さまからの電話で、13日に友人が亡くなったことを知った。

何が起こったのかを聞く。
涙が止まらない一方で、妙に冷静だった。高校同期には私から連絡します。予備校の友達、名前は知っているので、共通の知人を介せば連絡できる気がします。やりましょうか?高校の先生への連絡もやっておきます。大学で仲良かった人、Twitterのフォロワーにいるでしょうから、DM送ってみます。


彼女の携帯が開けられないから、まだ私以外の誰にも連絡が出来ていないのだという話を聞いて、私、たぶんパスコードわかります、と答える声が掠れた。私の誕生日が自分の誕生日の次に覚えやすい文字列だから、使っているのだと話していた。

あまりに大きすぎる悲しみに押しつぶされて、楽しかったことまでも消えていきそうだったので、とにかく覚えていることを掻き集めて書いた。思い出したら追加していく。

お通夜も告別式も終わったが、まだ何も信じられない。私はどこで間違えたのか、なぜこんな世界にいるのか、どうして助けてあげられなかったのか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?