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わたしは片付けができない〜近況報告・昔の話など〜

※書き初めは8月末だったのですが、ダラダラしていたら9月半ばに。時系列のおかしさは無視してください。情緒がジェットコースターです


2021年8月は、今までの人生で最も人間と触れ合っていない1ヶ月だったかもしれない。

人手不足のため、親が元々勤めていた病棟が完全閉鎖になり、急遽ICUへ異動することになった。
毎日防護服を着てコロナ重症者を診なければならない、という医療崩壊真っ只中にいる親があまりにも大変そうで、意識をさらに強めた結果、この1ヶ月で”濃厚接触”と言えるほど絡んだ人間が同居家族以外でたった2人という社会性を疑う数字に。百合子、褒めてくれよ。

仕事のストレスは土日に人と話すことによって解消していたので、会話の自粛がメンタルに悪影響を及ぼしてしまったかというと、意外とそうでもない。唯一会っていた2人とは、どんな時間にLINEしても1分で全員集合するほど頻繁に連絡を取り合っていたし、色んな人と電話したり、大学の同期たちとzoomしたり。現代技術ってすげえな。

というわけで自室にいる時間がとてつもなく長くなった結果、比例して部屋の汚さがとんでもないことになっている。

仕事をしなければならないため机の上は綺麗にしている……かと思いきや、よく考えないまま電源コードの必要な電子機器を買って適当に置いているせいで、机の3分の1は"コードがぐちゃぐちゃするスペース"となっている。写真撮ると改めてやばいね。申し訳程度の洗濯バサミにウケている。

ちなみに写真には写ってないけど、奥にミニコンポ関連の配線もあるから、実際はもうちょっとヤバい。

だが、本当にやばいのは机の上ではない。床である。

人間としての名誉を保つために写真撮影は控えるが、この部屋を何かにぶつかることなく歩けるのはおそらく私だけだろう。

とにかく床に物を置いてしまう。一度棚から出したものを片付けられない。着た洋服を洗濯し、畳むまではできるが、しまうことができない。
やらなきゃ、とは思うものの、「まあ別にいっか」と思う自分の方が強すぎて、洋服の山は日々標高を高くするばかり。

5月に行った旅行のお土産が入っていた段ボールは未だに壁に立てかけられている。熊本から送られてきたこの段ボールは、古紙回収の水曜日を、何度迎えたのだろう。寂しい思いさせてごめんね、、

ここまで読んだ人はさぞ生活能力のない人間だろうと思っているに違いない。だがしかし、自分でいうのもなんだが、私は家事は割とこなせるタイプだ。
実家住みではあるものの、母が忙しいため夕飯は高校生の頃からよく作っていたし、テレワークになった今、日中発生する家事はほぼ私が引き受けている。

だけど、自室の片付けはどうしてもできない。

片付けのできない自分についてさらに不可解なのは、掃除はめちゃくちゃする、ということだ。
最低でも一日2回は自室含め家中クイックルワイパーをかけるし(障害物を華麗に避けながら)、クイックルワイパーが入れないところは粘着シートのコロコロが欠かせない。

私の家に遊びに来たことがあるのは親族を除くと前述の2名だけだが、自室には絶対に入れることができない。転がってちゃいけないものが転がってるからね…一人暮らしをしている人の家に遊びに行くことがあると、整理整頓されていることの素晴らしさに感動してしまう。みんな、本当にすごいよ。

自分の部屋がめちゃくちゃ汚いことの原因の一つは間違いなく「捨てられないこと」だと思う。
小学校の頃授業中に書いてたオリジナルのキノコの図鑑とか(当時の自分が一体何にハマってたのか全くわからない)、中学で強制的に生徒会選挙に出馬させられた時に友人が担当してくれた応援演説の原稿とか、なんでも残っている。
ノートの種類や形式を変えながらも10年以上続いている日記も眠る私の部屋は、引っ越しを挟んで入るものの、私の今までの人生そのものといえるかもしれない。

そう、部屋はその人そのものだ。

誕生日とお盆の時期に、友人の家を訪ねた。
彼女の部屋に行き、手を合わせる。
壁じゅうに貼ってある美術品のポスターカード、かわいらしい布団カバーと枕元のぬいぐるみ、至るところに貼られた付箋のメモ、そこに書かれた丸っこい字、構造化学の参考書に紛れるように並べられたちゃお、本棚に仕舞われていた、4年前に贈った伊坂幸太郎の『砂漠』。

部屋の主が帰って来なくなってから約半年が経っているなんて信じられないほど、その部屋は彼女の雰囲気そのものを保っていた。
何をするでもなく、椅子に座ってぼんやりと天窓を眺めている時間だけは、また近くにいられるような気がした。私たちの間には、色々なことがあった。

先日、別の友人が人間関係に悩んでいる旨をブログに書いているのを読み、思い当たる節がありすぎて思わずLINEを送ってしまった。

高校1年だか2年だかの頃、我が家の家庭環境がかなり不安定だった時期があった。
父が出て行き、弟は徐々に学校を休みがちになり、あらゆるなことがどうしようもなくなっていった。学校が終わってタブレットを見たら「もう駄目かもしれない」と母からLINEが入っており、放課後受ける予定だった模試を放り出して帰宅したのを鮮明に覚えている。号泣した疲れで眠っている母を見つけて、心の底から安堵した。

そんな日々を送っていた私は、たぶん明らかにおかしかったのだろう。中学の頃から事情を軽く話していた友人は、めちゃくちゃ心配してくれた。気を遣って、相談に乗ろうとしてくれた。

だが自分のことに精一杯で、他人の善意さえも受け止める余裕のなかった私は、拒否してしまったのだと思う。正直、よく覚えていない。
全く関係ない別のことで若干対立する立場になってしまったこともあり、私と彼女の間には初めて溝が生まれた。たぶん、半年くらい全く口を聞かなかったように思う。

最低なことに、ここからも詳しくは覚えていないのだけど、気がつくと私たちは元通りの仲良しに戻っていた。心のキャパが狭くて自分勝手な私を、彼女は許してくれ、もう一度歩み寄って声をかけてくれたのだと思う。本当に、感謝しても感謝しきれない。

中学で出会った友人たちとの関係は、もう10年を越える。いま毎週のように遊んでいる人と中高6年間の登校を共にしていた人が同じだというのは、凄いことだ。本当に私は周りの人間に恵まれている。

一番楽しいことも一番悲しいことも、全部同じ場所で生まれるのだと思う。塞がることのない穴を胸に抱えながらも、私はバカなことをして涙が出るほど笑い、楽しく生きていく。

今はとにかく、週末に企画している「2泊3日でアイナナを見る会」を楽しみに毎晩指を折りながら眠りについている。最近の喜怒哀楽はほぼ全て日曜夜22時半より放送中のアイナナ第3期によって生まれており、費やしている時間という意味でも金額という意味でも、生活の全てと言っても過言ではない。

1月にはさいたまスーパーアリーナで単独ライブも決まった。直前まで5000人の人数制限があることが確定しているなか、国内最大キャパを抑えた運営の心意気に涙が止まらない。自分勝手で大変申し訳ないが、コロナ禍の収束を初めて心の底から本気で願っている。たとえ自分のチケットが取れなかったとしても、7人には満員の会場で楽しく歌って欲しい。どうか…頼む……。

一言LINEすれば約15秒で全員分の既読がつき、好きなものを好きだと共に全力で叫んでくれる友人たち、狂った企画にノリノリで集まってくれた最高の同期たちを大切にしていきたい。

変わらずバカやってんねって、どこかで笑ってくれてるといいよね、自己満だけど。私はとても元気です。

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