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坂道の電話ボックス

坂上の人待ちをするテレフォンが瞬きをする懐かしひ夜

 昔、駆け出しの編集人だったとき、担当した歌人に褒められた歌。丁度中坂を下ったところに部屋を借りていて、1日の半分は仕事して、夕方5時過ぎには、この坂を上った学校で勉強していた。本社の社長からは古歌を勉強しろ!と、万葉集と古今和歌集をプレゼントされていた。勤務先の大通りを挟んだ路地にぴあ立ち上がり、中小零細出版社がひしめき合う街で、ゲラを抱えて日々自転車で疾駆していた。ヨコつながりのそういう業界はいろいろな人がアレコレの仕事に携わっていて、昭和40年代当時は案外垣根も低かった。

 ジーンズのポケットにはいつも10円玉が入っていて、故郷のガールフレンドに電話していた。何もない日の学校からの帰り道、中坂にひとつだけあった電話ボックスが僅かな慰めを提供していて、いつも暇そうに蛍光灯の灯りを明滅させていたものだ。

 「君はまだほんの子供なのに、この歌は実に老成している」

 プロがつぶやいた一言を今でもよく憶えている。

幾年も待つひとの背をふたたびと逢へる日もある待つことの意味 

 今ならば、そう返してあげようか、私に。


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