中学卒業の時の作文 「変化」

平成15年10月24日。相模原市で私は産まれた。物心のついた私は、ママの言うことも聞かず、家の周辺で悪さばかりしていて、思った事はすぐ口にしてしまうような性格だった。小学3年生より前のことはあまり思い出せない。小学4年生から新しい家での生活が始まった。自由奔放な性格はさらに悪化し、1年がすぎた頃。小学校の行事でお泊まりキャンプに行って帰ってきた日のこと。長い間ママと離れて寂しかった私は、やっとママに会えると思って嬉しくて嬉しくて早く帰ろうとしてた。でも家に帰ることはなかった。校長室に呼ばれ、ママが居なくなったので家には帰れないと説明された。その日から児童相談所での生活が始まった。年下の女の子からいじめられたり、家が近いからといって外出する事も出来ず、1人で留守番していた私には楽しい日々もあったのかもしれないけれど、とても苦痛な毎日だった。そんな毎日を乗り越え、約3ヶ月後の8月26日。私は箱根恵明学園にやって来た。当時の私には恵明がどういうところなのか分からなかった。大勢の知らない人との生活が始まり、不安な毎日が続いた。いつになったら家に帰れるのだろう、もう2度とママに会えないのではないかと眠れない日が続き、夜になると1人でいつも泣いていたことも覚えている。そんな時、心の支えになったのが職員さん、園の子どもだった。自分の気持ちを隠す私に優しく教えてくれた。1人で抱える必要なんてないということ。その日から私は沢山の事を学んだ。始めの頃はママを恨んでいたと言っても過言ではなかった。いつになっても会いに来ない、電話もくれない、誕生日を迎えてもおめでとうの一言もない、私を1人にしたママを恨んでいた。しかし、今ママを恨んでいるかと聞かれたらうんとは言わない。むしろ感謝の気持ちを伝えると思う。恵明に来ていなかったら今の自分は居ない。卓球に熱中する事も人間関係の大切さも勉強する事も常識も。なにもかも恵明で過ごした日々の中で知ることが出来た。やった事のないこと、行ったことのないのない所。色んな新しいことに出会えた。将来を語り合える友達もできた。人間関係で悩む毎日。生きていても意味ないのではないか。そう考えることが多かった。でも、そんなことはなかった。いつも側で話を聞いてくれる誰かがいた。集団生活をしていく上で気付けないことにも気付くことが出来た。なんといっても箱中の生徒になれて良かった。箱中の皆と出会えて良かった。今まで私は学校へ行く楽しさを知らなかった。でもこうして箱中に3年間通って始めて学校へ行く楽しさを知った。高校生になっても今までのことを忘れないで前に進んでいきたい。今後大きな壁にぶつかることも沢山あると思うけど、これまでの経験を活かして乗り越えていきたいと思う。今まで私のことを支えてくれた友達、学校の先生、恵明の職員さん。本当にありがとうございました。これからも応援よろしくお願いします。