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言語学からのヒント

以下はカントの「純粋理性批判」からの引用です。難しいのですが、ちょっと読んでみます。

「無限で一切を包括する全体としての空間と時間は、アプリオリな直感であって、このアプリオリな直感は空間と時間内の特定の対象を、認識する条件であり、その認識に先立つものである。」

❓❓❓

はて。これは一体、何を言ってるのでしょうか? カントを読もうとして挫折してしまう人が多いのは仕方がありません。私もそうでした。

自分で読めないのならしょうがない。誰かわかりやすく解説してくれる人はいないものか。

すると、いましたいました。世の中には頭の良い人はいるものです。このカントの論考について見事な説明をしてくれたのが言語学者のリチャード・ウィルソンという人でした。

ウィルソンは犬を例にあげて説明してくれます。

あの生物学者ダーウィンは犬を飼ってたらしいんです。そのダーウィンが5年ぐらい家を留守にしたことがあって、5年ぶりに家に帰ってきたときにその犬はダーウィンが帰ってきたことがわかったんだそうです。それに加えて、ホメロスによればギリシャ神話のオデュッセウスも犬を飼ってたらしく、オデュッセウスは20年家を留守にしていたんだとか。しかしそのオデュッセウスの犬も20年ぶりに会う飼い主の事は覚えていたといいます。

つまり。

犬は時間を飛び越した優れた記憶力を持っているとウィルソンは指摘します。なるほど、です。

しかし、ウィルソンはここで面白いことを言います。その記憶力の良いダーウィンの犬に、オデュッセウスの犬の話をしても興味を覚えたりはしないだろうと言うのです。

それはそうです。

犬の記憶力は優れているかもしれないけれども、それは現在の経験が全てであって.過去の時間や未来については追想したりはできない、それは犬の肉体的体験に集中したものだと言うのです。

ところが人間は違う、とウィルソンは言います。

体験したことのない3000年前のホメロスの話も、100年前のダーウィンの犬の話も人間は理解することができる。そしてそれらの時間のズレも人間は区別して理解できる。

動物の場合は、空間と時間が動物の精神を捉えている。

しかし、人間は、その反対である。

人間は、精神が空間と時間を捉えている。

精神の中で全ての時間と空間を捉えている。

本来は言語について専門的に考えていたはずの言語学者ウィルソンが、言語について突き詰めて考えたときに時間や空間の捉え方にまでその思考が至ったというのは大変に面白い事実だと思います。そして、この時空間を飛び越える力を持つのが言葉・言語であるというのです。

哲学を読んでいく方法は1つではありません。

言語学、自然学、霊学、魔術までありとあらゆるものが理解のフィルターになっていくものだと思ってます。

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