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無限論の教室 —— 私のなかには「生徒」と「教師」ともうひとりいる

何かを学ぶときのコツは、私限定のものなのですが、自分の中に「生徒」と「能無し教授」を普段から飼いならしておくことです。

前に、大学院のゼミに呼ばれてゲストで講義をしたとき、院生さんの質問が実に素朴なものばかりで閉口したことがあります。もっと閉口したのは、そこに指導教官であるところの教授どのがでかい声で割り込んで、ほぼ口から出まかせでもっともらしいことを語りだすことでした。

今の私ならあの学生のうちとりわけ酷い子については「幼稚園から人生やり直してらっしゃい」と教室から追放して、そしてあの教授どのには「あなた今日限りで辞表を出しなさい、私がここの学長ならすぐ受理してあげるから」と言い放つと思います。それはいいとして、素朴にすぎる質問をしてくる生徒をどう納得させるかは、古今の教師の頭痛の種なわけです。その一方で某天才物理学者いわく「易しいことばで語れないのは、そもそもよくわかっていないからだ」。ああ、易しいことばってなんなんでしょうね。直観的理解をさせられるかどうかと私は解していますが。

今、無限についてどう大学一年生に講義してあげたらいいんだろうと悶々としていて、いろいろ本にもあたっています。次第に私のアタマの中にあるイメージが形になりつつあります。数学史の素養とともに、です。

ChatGPT は便利ですね。囲碁や将棋でAIが人間を凌駕して久しい一方、森羅万象に関する質疑応答については、AIでは越えられないものがあるなって実感するとともに、質疑応答のシミュレーションとしては非常に使えるものだと感じます。脳内ロールにおける「生徒」ではなく「教師」にとって役に立ってくれるのです。ここでいう「教師」は、「生徒」をなんとか納得させねばならないロールのことです。「能無し教授」に向かって「悪いけどひっこんでてください」と言い返す役でもあります。そういう「教師」を自分の中で育てていくにあたって、ChatGPT は使いこなせばとても役に立ってくれるように感じます。


「一様収束」と「各点収束」の区別がどうしてそんなに重要なのかと問いかけてみると、ちゃんと答えてくれますね。

うーむ「生徒」がこれで納得してくれるとはとても思えないけれど、「教師」がこれを参考にして授業準備して、そして上手に語れば「あの先生めっちゃわかりやすいし、質問にもていねいに答えてくれる」と慕ってもらえるようになる気がします。

コーシーからワイエルシュトラス、リーマンのふたりにバトンがわたったというイメージで、今考えています。

「無限大」と「無限小」を数学の思考から巧みに撲滅していったのが、ワイエルどのの功績とみます。

何言ってるのかわからないって? あはは、次の授業のための独り言ですひとりごと。Never mind, never mind. Forget it.

そうそうワイエル先生は教え上手だったそうです。

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