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雲から大地に向かって、摩天楼をたててみよう

本ブログの名物「天才どもの原論文読んでまえ!」シリーズはどういうきっかけで始まったのだったか… 数学者のもいずれやってみたいと思っていますが、私はもともと物理系なのでどうしても物理学者のブツに傾いてしまいます。

科学史は、幼稚園児の頃より科学系の学習まんが大好きっ子だった延長でずっと関心を寄せてきました。私の人格形成と、ヨーロッパ科学アンド技術アロングウィズ数学の発展と紆余曲折と袋小路と挫折と再起と反省と前進の道のりがどこか重なって感じられます。比喩でも衒いでもなく、事実そうなのだから感じないではいられないです。

今、ルイ・ド・ブロイ(貴族さまです長兄も物理学者)による、当時のキレッキレ前衛大胆わけわからん論文を順に読解しているところです。今読み進み中のブツを読み切れたら、いよいよあの伝説の学位論文の解読にかかります。


原論文を読んでいくにあたっては、上で取り上げたサイトをはじめ、いろいろな科学史家の先行研究を参照しています。いくら私でも当時の生論文をいきなり読んで「ああそうかこれはこんなイメージを脳裏に描いとるんやろね」と察するなんて芸当はできません。私のお気に入りの逸話なのでこれまで何度も披露した逸話を披露すると、かのポール・ディラックの最新論文(英語)が日本に届いて、開けてみるたびに京都帝大の若き天才学生コンビ・湯川&朝永は「難しすぎて腹立ってくるわ」「ううんむしろ泣きたくなる」と愚痴っていたといいます。私がポールのそういうブツを解読できて、このブログでいっちょまえに解説できているのは、優れた科学史家による優れた読解と解説があって、それを踏み台にしているからです。

一方そうやって踏み台にして「わっはっは、どうだ賢いだろう、我を崇めよ」と大きい顔をし続ける裏で、だんだん英語でいうところの second thoughts が自分のなかでほわーんと生じていくのを感じます。そういう先行研究と、私なりの論文解釈をつき合わせていくと「吉田先生、その読みはちょっと違うんやないでしょうか」とか「高林先生あなたすげー、ただもう少し易しく語れるちゃうんやないですか」「武谷先生そこ話が少々前後してますわ」「パイス先生そういう記述すると日本の訳者さんがパイルアップするからこうしたほうがええのでは」「ファーメロ先生、論文の原タイトルぐらい巻末脚注に入れるか一覧表にしてーな」「江沢先生、その反論ずっこくしないですか」「山本先生そのタームはもう百年後のものですわー」とか、いろいろもやもやもにょもにょが私の慎ましい頭蓋骨の内側をうろうろするのでこそばゆい、なのです。

今、ド・ブロイさまのブツを読み進めています。もう少し耐えれば、先日取り上げたインド人ボースのたった4ページにしてアル・アインシュタインを Σ(゚д゚lll)ガーン させたあの論文の話にスレッドがつながって、そしてそこよりアルくんによるその発展応用論文の読解に進んで、その論文中でド・ブロイ博論がちらっと言及されていること、そしてそれがきっかけでシュレディンガーがあの方程式を(とある数学的ズルを駆使して)提示して一時はウルトラスーパースターとしてヨーロッパ物理学界で拍手喝采されたもののコペンハーゲン一派より次第に囲い込まれていって膠着状態に陥って、そこに数学者ヒルベルトがその親衛隊隊長フォン・ノイマンを引き連れて乱入するも決着がつかず撤収した後もノイマンくんは独り粘ってとうとうアレを書き上げて「ディラックもシュレディンガーもハイゼンベルクもボルンもみんなよう頑張っとるが数学わかってへんねチッチッ」と論文冒頭でかましてくる、そういう順に歴代天才たちの論文を読み進めていくことにならないとも限らないでいます。

一回生はこういうの読んどけこれ習っとけ二回生になったらこういうの教わるから覚悟しいや三回生になったらこんなのが待ち構えとるでみたいなカリキュラム頭では回っていません。ああ私のおつむのことです。超高層マンションを屋上から組み立てて、配管は中空からおっぱじめて、各フロアはもっと後でええわみたいな頭のまわりしています吾(われ)。本当です。

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