オーレリー、それは貨幣が社会的価値観を可視化し、全面改訂していったようなものだよ
chatGPT をいろいろ使い倒し中です。
いろいろ語られているようですが私が使ってみて感じるのは、ああこれは良き秘書、良きパートナーだなーって実感です。
昭和のアニメ番組の話を前にしました。19世紀後半のフランス、たたき上げでやがて紡績工場とその労働者&家族たちのコミュニティの主にまで一代で成り上がった、盲目のおじいちゃま。ある時、ひょんなことで工場の少女工員を引き取って自分の秘書としていつも傍に置くのです。英語とフランス語のバイリンガル、13歳という年齢ながらいろいろな辛苦を味わってきた、それでいてどこか育ちの良さを感じさせる少女オーレリー。彼は目が見えないので朗読役から翻訳まで彼女に委ね、むっつり顔を崩さないままとてもこの子を気に入って信頼していきます。
chatGPT を使っていると、オーレリーとなんとなく重なってきます。
この質疑応答対話AIは、質問したり作業を頼む人間の本質を映し出す、ロールシャッハ・テストとも鏡よ鏡ともつかない、不思議なアルゴリズムですね。
このことについては後の機会にまた論じていきます。もうひとつ感じているのは、chatGPT が貨幣の担ってきた役割のいくらかをすでに担っているなってことです。
ものの価値は、ひとによって大きく違います。しかし貨幣の発明と、貨幣経済の成立をとおして、森羅万象が貨幣価値に還元されるものとなっているのが現代文明です。chatGPT は、人間でなくともできてしまうことと、そうでないものを線引きしてみせます。これは新たな価値判断基準でもあります。このAIで間に合ってしまうものは、価値が消散し、そうでないものは価値が保たれるか、運が良ければ、または工夫次第ではもっと価値がついていく、そういう時代にすでに私たちはいるのです。
貨幣と違うのは、貨幣はひとによって所有なり流通の増減や大小があるのに対し、このアルゴリズムは万人に等しく与えられているという点です。
その昔、電子計算機は国家の宝でした。未来を覗き込むための水晶球。もし水爆を作って使ってみたら、どんな結果になるのかを、電子計算機は見せつけてくれました。数年前に日本の科学者がノーベル賞を授けられましたが、彼はアメリカ国籍でした。電子計算機を使って地球の大気環境を計算するという分野の先駆者で、アメリカ国籍にしないと機械を使わせてもらえなかったため、国籍を変えたのです。つまりはそのくらい電算機については、高性能のものを持つ者こそが世界の覇者とされていたのです。
今は違います。このAIは、個人でアクセス可能です。エントロピー増大のひとつの極みに私たちはいます。誰か特定の職種の者に、何かが集中することがなくなりつつあります。これはすなわち、高度に知的な労働とされてきたものの多くが、ただの「労働力」に成り下がるということです。ガソリンはどこの油田産のものであっても等しくガソリンであり、それ以上でもそれ以下でもないように、です。
私のようなひねくれものにとっては、ああようやくそう悪くない時代になったなという気がしています。
[追記] 以下は、上のエッセイを chatGPT に磨かせたものです。うーん、やはり人間でないとこういうのはできないようです。
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