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偉大な先輩たちを、ひとりで否定していく

訳あって、アメリカの大昔の裁判記録を再調査しています。

前にもじっくり研究したテーマです。今回は私の眼力がさらに向上していることにくわえ、検索サーヴィスの精度の向上、それに ChatGPT を使っての要約や概要作成、英文の細部のニュアンスの検証も並行して行っているので、向上した眼力がさらに向上するという、嬉しいんだか辛いんだかわからない悲鳴をマイマインドが上げております。

そんな独りきりの狂乱状態のなか、今日ふっと気づいてしまいました。

アメリカの学者さんたち、自分たちの国の法制がどれほど世界で特殊なのか、そもそも自覚がないぞって。

あの方たちの論文や著作に目を通すと、いちおう調べてはあるのですよ判例を。ところがどうも私のとは違う解釈をしているのです。

私は日本で生まれて育った人間です。ゆえにアメリカ法制については外国人目線です。日本は明治のうちに、ヨーロッパ準拠の法制を整えていたのに対し、アメリカは20世紀に入ってからも独自路線でした。

あそこの学者さんたち、そのことを分かっていない。分からないまま、あの時代の判例をほじくりかえしては、一見もっともらしい論を繰り広げています。

日本から眺めると、分かっていないんですよ、あなたたちが普通だと思ってるものが、あなたたちの国でしかありえない諸々の上に発展したもので、それを全世界にまき散らしてグローバルスタンダードにしていった代物だってことに。

歴史の必然といわんばかりにです。

そういうアメリカン・ローカルな思考枠で書かれた研究が、その国外の研究者たちによって基本文献と崇められ、これまでまともに再検証されないできたとなると、恐怖すら覚えます。


数日前、こんなエッセイを綴りました。


AIの導入で、囲碁の今までの定石が、みんな覆されてしまったと、往年の名人が苦笑いしています。

彼は述べていませんが、囲碁の定石やメソッドは、何百年かかけて人間どうしの対局のなかから形になっていったものです。

すなわち人間という、不完全な知性に頼った、まことに偏りのある囲碁システムだったことが、AI囲碁によって白日の下に晒されてしまったのです。

将棋もそうでしたよね。中学生の男の子が、歴戦の棋士たちをばんばんなぎ倒していきました。

将棋ソフトを駆使して、今までは悪手とされていた指し方が実はそうでないことを独りで突き止めて、それを実戦に活かしながら、彼自身の将棋脳を自ら成長させていきました。

同じことを、あの国の先輩たちを相手に、もしかしたら私は今やり遂げようとしているのだろうか…




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