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「認知症対応型デイサービス」とは②

 まあこのシリーズ?はちょっとした備忘録だと思ってほしい。今今書けることは本当に少ないので、この先はボランティアを終えて、もっと自分自身の経験値が高くなった時にでも書いてみようと思う。

 前回はほぼ午前中・昼食が終わって休憩時間、までの流れを書いた。今日はその後午後の時間はどうなってるの?について。
 1時半頃には改めてお茶が配られ、これは水分補給を意識させるためでもあるのだろう、午前中2回、午後2回、そんな感じで必ずお茶が出される。お茶の内容はまあ色々あるわけだが。
 さてそのお茶タイムが終わると脳トレ的な時間となるのだが職員は準備に忙しい、あれこれ確認しつつコピーも取りという状況で、いつの間にか私のシナプソロジーもどきのお遊び時間が10分から20分程度、その日の状況によって隙間時間でできるようになったのだ。これは予想外というか、もっと慣れ親しんでからかと思っていたから、それなりに嬉しい。
敢えて私も準備などせず、その時その時の利用者さんの状況を観ながら遊ぶ。
 そう私は「遊ぶ、楽しむ、笑う、そして体を少し動かす」を意識している。もちろん、1日の流れの中には昼食前に体を動かしたりパタカラ的なこともしている。タイムスケジュールはしっかりとしているのだ。

 そんな中での隙間時間、お遊び程度に体を動かしつつ、声を出しつつ、笑いを取りつつ、の時間を作らせてもらう。
超絶個人的な意見としては、もうこういう遊び時間を午前と午後作って、昼食も一緒に作って食べれたら、それでOKだと思っているのだが、多分それでは介護保険としてはダメなのだろう。
 またどの程度の運動もしくはプログラムがどの程度利用者さんの認知機能の維持、改善、認知症進行の抑制に役立っているのか、をエビデンスを取ることも必要な感じだ。そんなことは当たり前といわれるかもしれないが、この辺りが結構驚いたところではある。
 そんなわけで私のお遊び時間が終わると一時間程脳トレ的作業もしくは問題を解く時間があり、その後おやつタイムとなるのだ。
 このおやつも昼食準備の間におやつも作っているわけで、驚くほど洒落たケーキだったりお饅頭だったり…そしてもちろん利用者さんは自分で作ったことなどきれいさっぱりと忘れていたりして、尚且つなかなかそのおやつの名前も憶えられないという…
でも逆を言えば、その難しさ以外は本当に肩透かしを食らったかのような普通の生活、高齢者と共に生活をしていればこのくらいは極当たり前かも…と思う程度の普通さ。
もちろん、認知症の進行程度によっては、この先色々変化が出てくることは多々あるだろうし、言ったそばから忘れる、という言葉そのまんま、には時折驚かされるが。

 以前、既に亡くなっている叔母が入所していた特養ホームを訪問したことがある。彼女はその時当初の混乱からは嘘のように落ち着いていて、車椅子の状態ではあったものの、ここで仕事をしているのよ、と朗らかに答えていたのを思い出した。

 どんな施設だろうとどんなサービスだろうと、基本は利用者が安心して楽しんでその時間を過ごしているかどうか、が基本でありある意味理想だ、と実感する。
私がこの先どのような状況から自分で生活することができなくなってきた時、私自身もちろん安心して過ごせる場を探したい。
 そして気づかされたことのもう一つ、その場を作り出す要素のひとつには確実に利用者本人も含まれているということだ、イヤイヤ来るのではなく、命令されて仕方なくではなく、ここに来るとおいしい昼食が食べられるとか、単純に楽しいとか、普段の不安感が軽くなるとか、ひとりひとり違うだろうけれど、楽しいから来る、面白いから来る、ほっとできるから来る、そんな場になっていることが重要なのだと実感している。



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