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すごくすごく書けなかった。でも時間をかけるしかない。


“華金”って言葉はすごい。
ただの金曜日よりもずっと、
毎週毎週、ついつい誰かと飲みに行ってしまう。

「華金なんで、飲みに行きますか」なんて、
僕たちは華金という言葉に飲まされているのだ。

このnoteを書き始めたのも金曜日。

投稿がこんなに遅くなったのは、飲みに行ってから書いたから?

それならまだ良かった。

確かに、いつもなら華金やら一週間お疲れ自分やらで、飲みに行っていた金曜日だった。(コロナ禍を含めての、いつもなら)

ただ今回は飲みにいくのをやめた。noteをまだ書いていなかったから。

せっかくnoteのアカウントを作ったんだし?どうせならちゃんと継続していきたい。
そうだ、これから2週に一回くらいは飲みに行かずに、自分の気持ちと文字で向き合うのはどうだろう。
言葉の企画、講義自体は一ヶ月に一度しかない。
講義後にだけnoteを書くより、2倍も書くことになる。
(2週間に一度なんて頻度として少ないと思うけれど、ここも物は言いよう。)

よし、これからは“書く週、金曜日”を設けよう。
飲みに行かずに、言葉に丁寧に浸りながら迎える日付変更線もいいな。

なんて、楽しく酔ったみたいに、いざ取り掛かってみたけれど…

どんな内容を書けばいい?
感動メモと、どう分ければいい?
noteって、どれくらいの長さで書けばいい?

どうすれば“いい”のかばかり考えてしまった。

最近、会社の先輩にキャリアについて
「いつまでに、何が出来るようになっていればいいですか?基準みたいなものはありますか?」
と、質問をした。それで、

「決まり切ったものはないよ」
「もう社会人なんだから」
と言われ、

正解を(特に外に)求める癖を直さなきゃ、と思ったばかりなのに。

飛び込もうと決めた言葉の世界なんて特に、決まり切った正解がない世界じゃないか。

自分のnoteが書き終わるまでは、まずは同期の企画生のnoteを見ずに書いてみよう
と思っていたけれど、

書き始めてみると全然うまく書けなくて

やっぱり同期のnoteをひとまず見ることにして

すごい分量書いてる…とか、
これぐらいの短さで出してる人もいるのか、じゃあ…とか

周りと比べてそんなことばかり考えている自分が情けなくなって、

切り替えてとにかく書こう、と思っても

また他のnoteが気になって…

そんなことを繰り返して、ついに朝を迎えてしまった。

言葉が好きだから。なんなら少しは得意だと思っていたから、言葉の企画に参加した。
でもよく考えてみると、受信する側として言葉が好きだっただけだ。

発信する側に回った時の、面倒臭さや、苦しさとちゃんと向き合ってきたことが無かった。
何の苦労もなしにちょっと上手いこと言えた時とか、気持ちがちゃんと伝わった時とか、
そういう心地のいい場面だけで、言葉を好きだと思っていたんだ。

言葉って、本当にすごく面倒臭いし、苦しい。
もっと書きたい、のに書けない、でもやっぱり書けるようになりたい。
noteを書いてみて、強く実感した。
(このnoteには書けなかったという内容しか書けていないけれど)

書いては消して、残ったものに対しても「これを人に見せるのか?」ってぼやぼやしてしまう。
かけた時間に対して、前に進んでいる気が全然しない。
それでも書かなきゃ、先には進めない。時間をかけるしかない。
書きたい気持ちは確かにあるのだから、言葉の企画2020に食らいつく。
少しでも多く書いて、少しでも先に進もう。

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人生初note、思うようには書けませんでした。

もともと書こうと思っていた内容があったのですが、それを書こうとして生まれた、
強く確認できた気持ちを、ひとまず置いていきます。

まとまりもないし、うまくもない、出すのめちゃくちゃ恥ずかしいです。
自己紹介でもコピーライターになりたいとか書いちゃってるのに、
この程度の文章力か、とか思われるだろうな。
ここまで時間もかけてしまったし…
でも、自分をひらけ、ひらくしかない、と言い聞かせます。

言葉の企画2020、きっとあっという間に終わってしまうのでしょう。
半年後を決めるのは、いま目の前の一瞬一瞬の選択。最後までみなさんと一緒に駆け抜けたいです。


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