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大槻英世 ​​山田はじめ 二人展: Still-Work

大槻英世 ​​山田はじめ 二人展
『Still-Work』
2024.8.17(Sat)〜9.1(Sun)
Closed Mon, Tue, Wed
〒130-0021 東京都墨田区緑2丁目15−15
lighthouse-tokyo.net/gallery_top.html

Still Work(静作)という概念について

静作 (still-work)とは、半永久的に未完成のままに見える作品を指す造語である。この言葉を起点に、絵画らしさを拒否することによって、むしろ絵画の本質に迫ろうとする大槻英世と山田はじめの作品を紐解いていきたい。

静物画(still-life)は画家の才能を測るのに最適な様式だ。室内の卓上というコントロール可能なモチーフのおかげで、色彩と構図の構成力、空間把握能力、陰影表現、質感の描き分け、更にはモチーフに象徴的な意味を込める手法まで、ありとあらゆる具象表現の技量を可視化できる。
一方で大槻と山田は、むしろ画家としての技巧や作為を隠蔽するために具象表現を用いている。
人間の手で作られている以上、作品から作家的意図と操作の痕跡を無くすことは不可能だ。ミニマリズム的に構成要素を抽象化・最小化しても、かえって作家の作為は強調されることになる。

だが、作為を消すことはできなくても、知覚できなくすることは可能である。手仕事の痕跡を日常的オブジェクトに擬態させて隠すのだ。
その捉えどころのない不完全な印象の作品群は、まだ制作中(still working)であるかの様に見える──もしくは非アート的な外観でありながら、それでもアート作品(still artwork)としての機能を保持している、という奇妙な状態にある。

静物画が画家の才能を鑑賞者にプレゼンしているのだとしたら、『静作画』はそれと対照的に、鑑賞者の審美眼と洞察力に挑戦を仕掛けているのである。我々は、誰にも理解されない作品を制作したい訳ではない。静作 (still-work)は、作品らしさを必要としない作品、そして理解されることを必要としない作品について考えるための手段なのだ。

大槻英世

『Transience, 2016』などの大槻英世を代表する絵画のシリーズでは、単色で塗られた平坦な画面上に、マスキングテープによって図像が描かれている。その絵画は未完成のまま展示されている様に見える──だが、そのテープに見えるものは、実際には絵具によって質感まで丁寧に再現された『色面』である。

マスキングテープは本来、完成後に剥がして捨てられる消耗品だ。そのためテープしか貼られていない様に見える画面は、まるで全てがやり直し可能な状態である様に感じられる。
つまり大槻はマスキングテープというモチーフを扱う事で、作品が実際には完成していること、そのテープが実際には絵具であることなど、作品における様々な事実を文字通りマスキング(遮蔽)した状態で提示しているのだ。
大槻作品は事実を見えなくすることによってこそ、“ものごとの外観から正しい意味や内容を理解できるとは限らない”という、もうひとつの真実を可視化するのである。

また、大槻作品のもうひとつの特徴と言えるのがコラージュだ。『Gift』や『Air mail』などのシリーズでは、ショッパーや便箋といった半立体的な袋構造を持つ紙を破いたうえで、平面へと展開し、テープ(に見える絵具)によって複雑な形へと張り合わせている。
紙がシェイプを構成し、それを絵具が支えるという構造は、絵画における支持体と画材の役割までが組み替えられ、コラージュ的に再構成されていると言える。
このように大槻は、絵画的構成要素の解体と再構成を通して、絵画というメディアと鑑賞という行為の本質について、再考を要求するのである。

山田はじめ

山田はじめは、岩・白紙のノート・レシート・汚れて傷付いた鉄板など、無意味かつ無価値に思われる非絵画的なモチーフを、絵画的な手法を通して制作する。

山田はほとんどの作品にPAINTINGというタイトルを付けているが、その中でも『PAINTING, 2020』は、拾ってきた岩を壁に展示しただけの様に見える作品だ。
だがその実際の素材は、断熱材などに使用される発泡ポリスチレンである。
複雑で有機的な質感は、ブラシに浸したシンナーがスタイロフォームの表面を溶かすことで生みだされたストローク(筆致)の痕跡であり、その色彩もステイニング・ドリッピング・スパッタリングなどの抽象絵画的な技法の応用で構成されている。
つまりその岩にしか見えない作品は、極めて抽象絵画的な技法によって非絵画的・非美術的な外観を獲得しているのだ。
この作品における岩というモチーフは主題というよりも、絵画らしさ・画家的な作為・美術史的文脈などを見えなくするためのカモフラージュとして作用している。
作品らしさを持たない作品を制作する行為は、鑑賞者の審美眼と洞察力に挑戦を仕掛けるだけでなく、美的オブジェクトが日常の中に潜んでいる可能性を示唆することにも繋がっている。

審美眼の色眼鏡を掛けて現実を“鑑賞”すれば、無価値だと思っていたオブジェクトから美的価値を発掘することも可能となるのだ。

Still-Work (Quadtych), 2024

本展では、大槻と山田の合作を発表する。展示タイトルと同名の『Still-Work (Quadtych), 2024』は、山田が制作した白紙に見える4枚のドローイング(実際にはその罫線が手作業で描かれている)を大槻が解体して組み換え、マスキングテープ(に見える絵具)によって貼り合わせて再構成したものだ。
つまり、モノに擬態した作品を素材として、未完成に見える作品が制作されているのである。

白紙とマスキングテープというモチーフの両方が未完成性・仮設性を象徴しているため、この作品は手間の掛かった共同制作でありながら、その過程における手仕事の痕跡が外観から漂白されている。結果として、まだ検討段階で変化の可能性が残されているかのような、極めて軽快な印象の作品となっている。

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