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日々のこと。

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日記をまとめています。 やさしい彼との、おだやかな暮らし。
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3月の終わり、最後に参列した葬儀のことを思い出す。

最後に葬儀に参列したのは、父のご友人のお通夜だった。 正確に言えば、最近父方のひいおばあちゃんが亡くなったのだけれど、コロナ禍の影響と遠方であったことから、葬儀には参列していない。 父の職場に時おり訪れていたご友人は、幼いわたしとも気兼ねなく接してくれる、心優しい男性だった。 わたしもだいぶ幼かったので記憶が定かではないが、配偶者もお子さんもいらっしゃらなかったように記憶している。 だが、子供のわたしに臆することなく、慈愛の心を持って接してくれるご友人のことを、とても

まずは行動あるのみ。ライターとしてのキャリアアップを目指すために。

先日、ライターの未来について、不安になっている気持ちをnoteに書いた。 noteでこう書いていても、仕事は向こうから自然にやってくるわけでもないので、自分自身で行動するしか未来は切り拓けない。 最近は、クラウドソーシングでのネット上でのやりとりではなく、企業との直接契約に積極的に応募するようにしている。 とはいうものの、結局リモートでのやりとりが基本になる職業だから、クラウドソーシングでも直接契約でも大差ないと思うのだけれど。 (本当になんとなく、という動機。直接契

疲れ切った週末は、餃子パーティーで。

週末。ストレスフルな職場からフラフラで退社し、1週間の疲れと汚れを詰め込んだ我が家に転がり込む。 散らかった部屋を見ないふりしつつ、空腹と疲れでぼうっとした頭で冷蔵庫を眺める。 買い出し……ウーバーイーツ……自炊……ドライブスルー……。 あらゆる選択肢が頭を駆け巡るが、どうも重い腰が上がらない。 そんな疲れ切った週末を乗り切るのが、餃子パーティーである。 ……というものの、一から餃子を作るのはまぁまぁめんどくさい。 そういう時に役立つのが、冷凍の餃子だ。 我が家

知覚過敏が辛い。

ステロイドを増量して1ヶ月と少し。 先日免疫抑制剤の副作用について少し触れたが、それ以外にも身体の不具合というか、気になるところが出てきている。 それは、以前にも軽く書いたことがある「知覚過敏」についてだ。 知覚過敏について、noteで詳しく触れたことはないみたい(たぶん)なので、改めて書いておこうと思う。 今回の再燃で、そういえばそうだったと思いだしたことがある。 ステロイドを大量に服用していると、知覚過敏がひどくなるように感じている、ということだ。 最初に知覚

ライターの未来について、今一度考えてみる。

フリーランスにおいて、常に頭に付きまとうのは仕事の問題である。 案件がなければ仕事がないわけで、ひとくちにフリーランスと言っても、毎月一定数案件がある人もいれば、不安定な人もいるだろう。 わたしはもちろん、後者の方で。 ありがたいことに継続案件をいただけているけれど、案件が潤っているか、と問われるとそうではない。 むしろ、以前よりは案件が減ってきているな、という印象が大きい。 コロナ禍で急速にSNSが普及し、リモートワークという働き方も広がった。 自由な働き方、と

チョコではないけれど、気持ちはそれ以上に。

バレンタイン。恋人がいるわたしにとっても、大切なイベントの一つである。 とはいうものの、長く交際を続けていると、誕生日やクリスマスなどのプレゼントの類やバレンタイン・ホワイトデーに贈るもののネタが切れてくる、という問題に誰しもぶち当たると思う。(特に夫婦になるとその問題は顕著だろう) 実際に、知り合いのご夫婦は、プレゼントはもう自己申告制にすると言っていた。(実はうちも採用している) だが、バレンタインとなると話は別。口では「気にしなくていいよ」と言っていても、内心気に

それでも世界は進むから。

再燃の治療が芳しくない。 ステロイドを増量して1ヶ月が経ったが、検査の数値や体調は大して変わらず、むしろやや悪くなっているという始末だった。 主治医の顔が険しくなるのも頷ける。免疫抑制剤を追加して、また様子を見ることとなった。 本当に一進一退。直近まで2ヶ月に1回で良かった通院も、今では2週間に1回になってしまった。 この1ヶ月は療養に充てていたので、病院や必要最低限の買い物しか外に出ない日々が続いており、そろそろうんざりしてきた頃合いなので、気分転換も兼ねて行きそび

2023年においていかれたまま。

気が付けば、2024年になり1カ月が経つ。 昨年の年末から体調を崩していて、それでもなんとか年末のごちそう(イオンのお寿司とどん兵衛の鴨だしそば)を用意し、元旦を過ぎてから雑煮を作って形式上年末年始を終えた。 しかし、ほとんど寝て過ごしてしまった年末年始だったので、まだ年が明けたという実感がない。 正月の帰省も、わたしの咳が収まらなかったのもあり、きちんと帰っていない。父の計らいで、後日祖父母たちと共にご飯を食べただけだ。 そして、連日続く痛みによって寝込む日々。

それはまるで、"忘れるな"と首元に刃物を当てられているような。

去年の2月、わたしは初めてコロナになった。 あれだけ感染対策をしていたのに、と唖然としてしまったが、なってしまったものは仕方がない。 自宅療養の末、完治に至った。 しかし、去年の暮れに、再度彼が体調を崩したところから、わたしたちの療養生活は再び幕を上げた。 彼はコロナを発症、わたしは熱はないけれど喉の痛みや熱があったため、コロナだろうとみて仕事をしながらゆっくりしていた。 数日後、わたしも発熱。病院にかかったところ、わたしはインフルエンザだった。 看護師さんも医師

おばあちゃんからの年賀状。

新年、おばあちゃんからの年賀状が届いた。 この一文だけ見ると、何を当たり前のことを、と思う方が大半だと思うけれど、わたしのおばあちゃんは特養(特別養護老人ホーム)に入所している。 そして、脳に病気があり、記憶がほとんどない。幾度の入退院で心臓はペースメーカー、足にはボルトとロボばあちゃんなのだ。 以前は年に2回ほどおばあちゃんの元を訪れていたが、高校生あたりから家族全員バタバタしており、なかなかおばあちゃんに会える状況ではなくなってしまった。 そうこうしているうちに、

モーター音が消えた日。

飼っていたメダカの最後の一匹が、先日虹の橋を渡っていった。 書こうかどうか悩んだが、あれだけメダカゴリ押し記事を書いておいて、最後は何もなし、というのも気が引けたので、書いてみることにした。 わたしたちのアクアリウムのはじまりは、2020年の6月だった。 緊急事態宣言が発令されるなど、世界はステイホームと称してすべてが止まったあの時。 自宅待機中の彼の一声で、アクアリウム計画がスタートした。 最初は、「ミナミヌマエビ」という小さなエビからスタートしたアクアリウム生活

あやうくまな板に殺されかけた話

みなさまお久しぶりです。寒さもだいぶ本格的になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。 noteフェスのマイクラ部門も終わり、まったり狩猟生活に戻りつつもプライベートではバタバタしており、まだバタバタはしているのだけれどちょっとヒヤッとしたことがあったので、noteに書いてみようと思いました。 題名から物騒なのですが……題名の通りあやうくまな板に殺されかけたのです。つい最近。 いや、何を大げさな……と思うかもしれませんが……(でも少し大げさかも) 🔪事の発端以前、と

鬱はわたしのすぐ後ろにいる。

ふわりと鬱の予感がした。 ……と書いたものの、わたしは鬱病の診断を医者から正確に診断されたわけではない。 と書くと、一生懸命闘病されている方に失礼かもしれないが、実際問題医者に取り合ってもらえる程度ではないものの、かなり日常生活においてこの"気分障害"が厄介なものだと感じている。 実際の患者と度合が違うのは承知のうえだが、御辛抱いただけると幸いだ。 ここ最近のわたしの投稿の文体は、あまり明るいものではないと思う。 noteの世界に降り立ったのが約3年前だとすると、そ

もがきながらもすがりつくもの。

常に迷い、もがきながら生きている。 SNSに蔓延る有象無象は、綺麗なモノばかりで、完成されたものばかりで。 中途半端が許されないような世界で、わたしの存在価値はなんだと問うことが多くなった。 普通の人のように働くことが難しかった。 ライターとして仕事を増やして伸ばしていくことができなかった。 動画編集では食べていけなかった。 丁寧な暮らしがしたい、痛みから解放されたい、綺麗な身体になりたい……すべてが叶うことがなく、どん底から光を見上げることしかできない。 続けたかっ