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「分かるかなぁ〜?」

私は美術系の高校に通い始めたことで、
美術の展覧会によく足を運ぶようになった。

以前、初めて行った東京観光で、
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!に行った。

その中で最も印象に残っている、
松田修の『奴隷の椅子』について記録したいと思う。

この作品を軽く説明すると、
これは、一人の女性の写真をデジタル処理により動かした映像作品で、内容は、松田修の母親へのインタビューをもとに作られている。

デジタル処理による表情の豊かさや、
松田修の裏声のアテレコによる映像の奇妙さに、
私は深く興味をそそられ、全く飽きることなく鑑賞していた。

また、リアルな映像ではなく写真であることで、
映像の奇妙さをもってしても、女性の話が淡々と頭に入ってくることができたと感じた。

映像の魅力の詰まった作品だが、
私にとってこの作品が、最も印象に残っている理由は、
最後の女性のセリフである。

作品中、女性は自身の人生について語っている。
私はこの人生について、かなり過酷だと思ったが、
女性はまるで笑い話かと思うほど、淡々と冗談を交えて話していた。

だが、一場面、怪我をしたおばあちゃん(女性の母親)の写真に切り替わるところがある。
これによって現実味が増し、私は「やはり明るい話ではないのだ。」とこの話の深刻さを感じた。

それをふまえて、
後半にかけるにつれ、この女性の明るさが、
深く悲しいものだと感じてくる。
私の中ではなんとなく、同情心が芽生えてきていた。

そこで最後に、女性が我々に投げかけるセリフが、
私に鳥肌を立てさせた。
女性はこう言った。

「 私はこうして生きてきました。
  分かるかなぁ〜?
  分っからへんやろうなぁ〜。 」

ニヤリと笑う女性に、
私は突然、突き放されたように感じた。

悲しい、悔しい、恥ずかしい、申し訳ない、
挑発されたようにも感じたし、
「そうだよな」とハッと気づかされた。

ピッタリの言葉が分からないが、
とにかく私はものすごい感動をした。

それまで私は、
この女性の人生について、
この作品で伝えたいことについて、
なんとなく分かったような気になっていた。

でも、そんなこと分かる筈ないのだ。
私はこれを、すっかり忘れて作品を鑑賞していた。

美術において、
これは他の作品にも言えることだ。

どんな作品でも、
作者の意図が100%伝わることは、
絶対にないのだと思う。
50%伝わることもないのかもしれない。

だからこそ、
最後まで伝え切ることを作者側が諦める。
というこの作品の特徴に、私はものすごく感心した。

この女性の人生や作品について、
逆に理解を深められたとも感じる。

分かったつもりでいることが、
一番理解を遠ざけることを、改めて実感した。

これから様々な作品を見る"目"に、必要な要素が加えられた。とても良い経験だったと思う。

『奴隷の椅子』は、素晴らしい作品だった。

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