かばんの中の18年前の宿題

小6の夏。先生が言った。「宿題は、うそ日記です。」

うそ日記とは、ただその日のことを書くのではない。自分でうそをちりばめ、広げて書かねばならない。いわば空想の世界の日記だ。
こわいのは、「うそ日記」は、自分の価値観を丸裸にするということだ。(このことは、大人になってから気づいた。)

自分は何を面白いと思っていて、もし制限がなければ(自由ならば)どんなことをしたいのかが、モロにわかるのだ。さらに、想像力も試される。

説明を聞いたときには、「何それ、おもしろそう!」とウキウキしたのだけれど、実際に書いてみるとなかなか難しかった。
まず、どこにうそを入れるか、どんなうそにするか、どうやってうそを表現するかにも悩んだ。
結局、週末にあった出来事に少しアクシデントを加えて、なんとなーくゆるっと解決させ日記を締めくくった。

提出した日。帰りの会で、「◯◯のうそ日記が素晴らしい」とみんなの前で朗読した。

ああ、なんて自分の日記はつまらないんだろうと心底がっかりした。よーし、次こそはもっとワクワクするものを書くぞ!と密かに意気込んでいた。結局、うそ日記をつけることはなかった。たった一度きりの宿題だった。

たった一度きりだったのは、私たちがうそをつくことに慣れないためと、例が提示されたことで、うそ日記にオリジナリティが薄れるからだったのかなあと今になって思う。

この宿題のおかげで、私はよく"if"を考えるようになった。もし、自分だったらどうする?もし、今クマに遭遇したらどうする?もし、息子がトイレに間に合わなかったら?

だから、かばんがいつも重いのかもしれない。私のかばんの中身は「もしも」がいっぱい詰まっている。

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