☆40歳の地図☆
『一抹の醜さ、清廉な悔い。』
子供達とサッカーをしている時
(サッカー以外でもだな)
あっ!今の言い方だと誘導しているコーチングだな・・と
なってしまうことがある。
また後出しで監督やコーチ、大人が言ったことを
子供達は正しさと認識していく事がある。
俺はそんなことは言わないけど
【荷物の整理整頓が出来ていないから負けたんだ。】
荷物を整理整頓することは素晴らしい事だ。
日常人間は30%何かを探しているらしい。
(ファイルだったり、書類だったり、郵便物だったり。
自分探しとか言う禅問答ではありません(笑))
整理整頓がされているとその時間を有効活用出来る。
そういう意味でもとても素晴らしい事だ。
実際
コーチ、自転車のカギがない!
真っ暗なグラウンド・・・
探せー!
バックの中にありました!
ズコッー(古い・笑)
この時間は結構シンドイものである(笑)
荷物を整える=心が落ち着くとも言える。
勝敗と無関係ではないだろう。
しかし、主たる負けた原因がそこであるとは信じがたい。
教育は少し逸れると洗脳という要素を含んでいると思う。
(逸れなくてもね)
整理整頓をする本質的な重要性を伝える事が出来ず、
因果関係の曖昧なモノを持ち出し、
子供達をコントロールしてしまう醜さ。
少しは含んでいるように思うのだ。
『荷物が乱れているから負けているんだ!』
と信頼するコーチや大人に言われるとなんかそれが正しいような気がしてくるのも事実だ。
私が小学生の頃(昭和)たわいもない友達とのいざこざで
先生に顔をはたかれ
【右の頬をはたかれたら左の頬を出すんだ】
と言われたのを覚えている。
凄く嫌な思い出ではない。
いざこざを起こしたのは自分達だし
(廊下で走り回っているくらいの事だったと思うが)
初めて知った事だったので
潔く叩かれるという清廉性を持とう
みたいに感じただけであった。
先生も子供を思ってやっていたのだろう。
私も納得していた。
そういうことって結構あると思うんだが実はとても怖いよね。
清廉さを持つ子供達であればある程だ。
本来はやがて必要性に気がつけるように
コーチや指導者、大人が関わったきっかけから、
子供達が取捨選択して自ら獲得していくことが本線であるように思う。
難しいのはチームスポーツであると、同調した方が
結果に繋がりやすい事実がある。
突出した個人よりもアベレージが高い方が強い。
人数が増えれば増える程だ。
(野球は突出したピッチャーがいれば強いな)
私自身も子供達を率いて試合に挑む。
子供達がそれぞれバラバラでは勝利なんて届くわけがない。
勝利に向かっての最短距離は
教育=ある種の洗脳という側面もある。
勝つ事もある。
その時、自分自身に一抹の醜さを感じることがある。
そしてその醜さがなければ勝たなかっただろうな・・と感じる時が事実ある。
試合中に大人の醜さが溢れるものは、
自戒の念を込めて観たいものではない。
負ける時も多い。
その時は 子供達自身を言いなりにしなかった清廉さが私に残る時は多くある。
しかし、あの時、このように指示を出していればこの試合は獲れた。
というターニングポイントは存在する。
負けてうなだれる子供達を観る時に、
私自身の精錬性がこの悔いを生んでいる。
とも思えてくるのだ。
稀に子供達が素晴らしパフォーマンスを発揮して歓喜したり
負けたモノの前のめりに負けた尊い瞬間に立ち会う事がある。
結果は違う。
でも私にとってこの2つは何物にも代え難いんだ。
負けていい。というのはスポーツの根底を覆す。
だけど絶対に勝たなくてはいけないと言うことは無い。
(特に子供は)
勝ち負けに依存しないモノを生みだし、
本当の意味で子供達への価値を創り、
その上で勝ち、結果を掴むことを絶対に諦めない。
自分勝手に背負う使命感にこそ
俺自身、清廉潔白で在りたいのだ。
夏の空気が入れ替わり
涼しげな空に薄く雲が拡がる
全てを現わしている気がした。
この文章表現にも
自分自身に一抹の醜さを感じるよ。
それでも綴ろうとする清廉さ。
そこにも少し悔いを感じているのかも知れない。
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