アロンアルフアの販促物語を読み解いて偉人を発見した
本編
この国で瞬間接着剤といえば「アロンアルフア」。
(最後の「ア」は大文字が正しいらしい。)
誰しも一度はお世話になったことがあるだろう。
割れたコップも壊れたカバンも男女の友情も、いつだってアロンアルフアが修復してくれる。
そのアロンアルフアが生み出した、おとぎの国の物語をご存知だろうか?
こちらは、アロンアルフアの製造元「東亞合成株式会社」さんのビル。
その一階には、「アロンアルフア物語」というストーリーが展示されているのだ。
NHK「みんなのうた」を想起させる牧歌的なディスプレイ。アロンアルフアが化学製品だという事実を忘れてしまいそうである。
どんな物語なのか、写真では読みづらいので文字起こししよう。
おのおの、推しの芸能人、ナレーター、あるいは声優の声で脳内再生しながら読んで頂きたい。
昔々、アロンアルフアをくわえた金のガチョウがいました。
ある日、そばを通りかかった村人のひとりが、美しい金の羽に思わず手をふれました。
そのとたん、手がガチョウにぴったりとくっついてしまったではありませんか。
おもしろがった村人たちは次々とガチョウにさわり、くっついて長い長い行列をつくりました。
ちょうどそこへはがし液をもった少年があらわれ、くっついていた人々を元どおりにしました。
ガチョウの不思議なちからに感動した村人たちは、壊れた物をすぐに捨てるのをやめて、アロンアルフアで直し、大切にするようになりましたとさ。
中原麻衣さん、ありがとうございました。
さて、あなたは読みながら数えただろうか。
心に浮かんだ「?」の数を。
・なぜガチョウがアロンアルフアをくわえている?
・なぜ羽に手がくっつく?
・手がくっついた村人は、なぜ微塵の危機感も感じずおもしろがる?
・その少年は何者?
おそらく、種々の疑問がモグラたたきのように顔を出しているであろう。
どれから片づけてくれようか。
私が真っ先に解決したいのは、物語の書き出しである。
昔々、
昔って、いつ?
細かな疑問は差し置いて、大前提となる時代背景を明らかにしたい。
そうすれば、芋づる式に謎が解決するかもしれないじゃないか。
では考えよう。
「昔々」と言うが、これは具体的にいつの話なのか?
まず確実に言えるのは、
アロンアルフアをくわえた金のガチョウがいました。
これが登場する以上、アロンアルフアが既に存在している時代だということ。
ゆえに「昔々」といっても、鎌倉時代や江戸時代とまではいかない。もう少し現代に近い時期が舞台である。
さらに重要な描写として、
手がガチョウにぴったりとくっついてしまったではありませんか。
おもしろがった村人たちは
ガチョウの不思議なちからに感動した村人たちは
と、村人がアロンアルフアに新鮮なリアクションを示している。
ここから、アロンアルフアという革新的な接着剤は存在しているものの、まだその性能が世に知られていないと考えられる。
そして、直後の記述。
壊れた物をすぐに捨てるのをやめて、アロンアルフアで直し、大切にするようになりました
村人がこぞってアロンアルフアを使い始めている。
これは、アロンアルフアの一般向けの販売は既に始まっている証拠だ。
以上の手掛かりにより、実はこの物語の時代設定はかなり細かく絞り込める。
アロンアルフアがあまり知られていない、でも手に入れようと思えば手に入る。
となれば「アロンアルフアの発売直後」しか無い!
では、アロンアルフアはいつ発売されたのか。
公式サイト「アロンアルフアのひみつ」によると、家庭用アロンアルフアの発売は1971年とある。
特定完了。
「アロンアルフア物語」の舞台は1971年である
謎のベールが早くもはがれ落ちてしまった。
語り部が誰かはわからないが、いつまでも「昔々」構文で通せると思ったら間違いだ。
これによって、「アロンアルフアをくわえた金のガチョウ」の正体も推測できる。
ずばり、東亞合成さんが新発売のアロンアルフアを宣伝するために、ガチョウを村に派遣したのではないか?
金色のガチョウなら、広告塔としてうってつけだろう。
・アロンアルフアをくわえている
・しかも、美しい金の羽までアロンアルフアでコーティングされている
といった、大自然の所作とは思えない不可思議な現象も、
・くわえているアロンアルフアは小道具さんが用意したもの
・羽はメイクさんがアロンアルフアまみれにした
と考えれば納得できる。
実際、村人はまんまとガチョウの美しさに魅了され、うっかり羽に触ってアロンアルフアの威力を思い知ったのだから。
これはまさしく東亞合成さんの計画通り、これほど絶妙にヒットしたプロモーションもそうそう無いだろう。
しかし、ここでひとつの矛盾が生じる。
ちょうどそこへはがし液をもった少年があらわれ、くっついていた人々を元どおりにしました。
この少年は何者なのか?
前出の「アロンアルフアのひみつ」によると、はがし液の発売は1984年である。
1971年が舞台のはずなのに、なぜ1984年発売の商品を持っている少年がいるのか?
新たなミステリーが生まれてしまったので、パイプに火をつけて進めよう。
「…まさか、タイムマシン?」
安易に過ぎるぞ、ワトソン君。
すべての矛盾を一瞬でチャラにするスーパーSFアイテム。それを認めたら世界観が崩壊するだろう。
「…じゃあ、東亞合成ではない、別のメーカーのはがし液?」
ワトソン君、東亞合成さんに向かって100回土下座したまえ。
アロンアルフアの強力な接着力が、野良メーカーなんぞのはがし力に負けるわけがない。
…しかしワトソン君、よい助言をしてくれた。
有り得ない可能性をすべて断ち切り、残った結論は…
この少年こそ、はがし液の発明者である
実はこの少年は東亞合成に勤める社員の息子であり、ある日父親が銀座のバーでジントニックをしこたま飲んで泥酔して帰宅し、会社から持ち帰ったアロンアルフアを誤って玄関にぶちまけ、新品のスニーカーの左右が強力に接着されてしまい、これでは明日イオンのフードコートで開かれる合コンに行けないと困り果てた少年、自宅にたまたまあった薬品を適当に配合したものを流し込むと見事にスニーカーが剥がれ、偶然にもはがし液の成分を解明した!
…と、いうバックストーリーがあったかどうかはわからない。
だが何であれ、この少年自身が発明したからこそ、まだ世に存在しないはずのはがし液を持っていたのだ。
しかし、素性不明の少年が、得体の知れない液体によって接着剤を引き剥がすのを見た村人は、どう思っただろうか?
「呪術を使う不気味な少年」とみなされ、迫害されてしまったのではないか。
事実、物語では
ガチョウの不思議なちからに感動した村人
とあるが、少年については村人、ノーコメント。
せっかく剥がしてくれたんだから、感謝するなり感動するなり、ちょっとぐらい触れてあげてもよさそうなのに。
それが全く無いというのは、やはり少年は悪魔の手先と忌み嫌われ、あらん限りの罵詈雑言を浴びて村から追放されたのではないか。
そして、その様子があまりにも残酷で、そのまま物語にすると18禁指定を受けそうになったため、記載を全カットせざるを得なかった…
こんな検閲があったのだろう。
しかし、少年はあきらめなかった。
森の中の小さな研究小屋ではがし液の実験を重ね、実用レベルに耐えられるまでに改良し、その成果を見た東亞合成からの熱烈なスカウトを受けて入社し、ついに1984年、東亞合成からはがし液が発売されたのだ!
いい話ではないか、ワトソン君。
ちなみにはがし液の研究だが、元々のはがし液が毒々しい紫色をしていて縁起が悪かったため、それを透明にしてイメージアップするのが一番大変だったと、少年はWBSのインタビューで語っていたぞ。
※本編はフィクションです。
実在の人物、団体、事件、イオンとは一切関係ありません。
※東亞合成さん、ごめんなさい。
あとがき
本編をお読み頂き、ありがとうございました!
このnoteは、2019年9月に私のブログで公開した記事をリライトしたものです。元記事へのリンクは後で載せます。
リライトしようと思ったきっかけは、マリナ油森さんが呼び掛けた、この試み。
noteで気楽な「習作」をつくって道しるべをたてる、 #書き手のための変奏曲 です。
元々、過去のブログ記事をnoteに出してみようかな、とぼんやり考えていたところ、この企画に遭遇しました。
そこで、ただ転載して再放送するのではなく、同じテーマを今のスタンスで書き直したらどうなるか、試したくなったんです。
まず私は、ブログから「まあまあ気に入ってる」記事を4つ選出。
そして、どの記事にするかTwitterでアンケートをとってみました。投票して頂いた方々、ありがとうございます。
結果、一番投票が多かった、アロンアルフアの記事をリライトしてお送りしました。こんな話だったんです。
さて、リライト前はどういう記事だったのか?
お待たせしました、元記事のリンクです。
原題「はがれの錬金術師」。
まずタイトルからメスを入れました。このままでは良くない。
個人的には気に入ってるんです。
でも、「うまいこと言ったな」の自己満足を全面に押し出しても、到底読んでもらえない。
瞬間的にTLにあらわれ、ソニック・ザ・ヘッジホッグのようなスピードで去り行くWeb記事。
少しでも目に留めてもらうために、主題である「アロンアルフア」から始めて、結論まで盛り込んだタイトルにしました。
「アロンアルフアの販促物語を読み解いて偉人を発見した」
一か月ぐらいたったら、もっといいタイトル浮かぶかな。
次いで中身ですが、話の筋書き自体はそのままで、写真も変えず、表現と構成を変えることに注力しました。
そもそも、元ネタの「アロンアルフア物語」が謎だらけなんです。
掘り進める角度によって、いくらでも違う展開で書けそうです。
ですが、ゼロから考え直していると無限に発散しそうなので、あくまでも展開自体は変えず、同じ趣旨をより読みやすく、伝わりやすくと、念頭に置きました。
目指したのは「読者の隣を歩きつつ、半歩先をゆく文章」です。
同じ目線に立ったり、ちょっと進んでみたり。
読み手からはるか離れたところに立って「ここまで来いよー!」と呼び掛けたところで、はたしてその声が届くでしょうか。
いっしょに疑問を考える。思いつきそうなことを提示してみる。
つかず離れず、バネのような距離感で読み手を導くのがいいんじゃないかと、私なりに考え、書きました。
他のブログ記事も、機会があればリライトしてみたいと思います。
あとがきも最後までお読み頂き、ありがとうございました!
お金をください!