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人が見るのではない、面(おもて)が見るのである

美術館「えき」KYOTOにて開催されている[能面 100 The Art of the Noh Mask]展へ行ってきた。

神・男・女・鬼・老それぞれを表した能面が100点。

【神】は翁のような表情の面と、ギリシャ彫刻を思わせるような彫りの深い面が、同じ面として展示される様を見て、日本は島国ではあるけれど、古い時代から民族が混ざり合っていたのだなと感じさせる。

【男】は皺の多い神に比べてつるんとした印象。童が多いのがその理由か。

【女】を演じるときは喜怒哀楽がどのようにでも表現できるように、演者には空気を感じさせないような身体性が求められる。一見表情がわかりにくい女面はどうとでも取れるようにあのような表情になっていると言うことか。その微妙な感情を表現するのに、身体性は限りなく軽くと言うことかもしれない。

【鬼】は嫉妬や怒りに狂気した女が変化した姿なのだとか。鬼の面を般若といい、その中でも白般若と黒般若があり、黒の方はより悪意がある。その様を瞳の周りと歯を金色に塗ることで表現している。細面の般若の面を阿とするなら、吽に当たる口を閉じた鬼もあり、こちらは何か我慢をしているような四角い顔の鬼。花嫁衣装で頭にかぶる角隠しは、この鬼の角を隠すと言うところからきている。狂気して鬼と化すのは女だけなのか。

【老】の面で、若い女に思いを寄せたが、年寄り扱いされ皆に馬鹿にされ悔しい表情をした面があり、今も昔も人の営みはあまり変わらないと少し微笑ましく感じた。

能に対して全く知識がないので、展覧会へ行っても、正直楽しめるのかと思っていたが、なんのなんの、かなり楽しめた。展覧会は先入観のないフレッシュな状態で観覧するのも、知識や経験を積んできたからこそ感じることもどっちもいいなと思う。今回はどっちの要素もうまい具合に作用したように思う。

表題の「人が見るのではない、面が見るのである」はチケットの説明書きから拝借した。これは初世金剛巌の著書「能と能面」から引用である。この展覧会を見た後でこの言葉に気づいてのだが、なるほどと金剛巌氏の言わんとしていることに頷ける。
それぞれの面の表情は、人の心情を表したものではあるが、それはその人そのものではなく面を通して見たものであり、その人の一側面の見方にすぎないと。そして、人は見たいようにしか見ないとも。一方で、面さえ変えれば見方も変わると言うことでもある。そこに何やら、人への優しい眼差しを感じたのである。

今回の展示は世界的な能面愛好家であるスティーヴェン・マーヴィン氏の愛蔵品の展示がほとんどだった。外国人であるスティーヴェンさんを通じて能面の面白さに触れたわけだが、自分を知るには他人を通さないとわからないのと同様に、外の視点から自分の国の文化を知るそんな機会だった。



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