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On the road again.

(1plus1.co.jpより、抜粋
ファッションの世界で、様々な仕事をした。
長い間、車が相棒だった。F1レースでセナが走るのを、海外まで観に行った事もある。バイクに乗ったのは、随分後になってからだ。
4ストロークのツインエンジンを両脚で挟んで、風の中に入っていった時、「あの頃懸命に追いかけていたもの、世界中探しまわったものが、ここにある」と思った。
同時に「あるけど、無い」とも思った。
何が?
そう、バイクに乗る時の服。
レザーやプロテクターなど、身を護る機能が最重要なのは当然として、着たい感じの服が、正直あまり見当たらなかった。バイクに乗る時は、カッコいいスポーツカーに乗る時よりも、全身丸見えなのにね。
どんな形、とはっきりと分かっている(ならそれを買えばいいだけの話)わけではなく、手探りをしているうちに、社内外に仲間が増えていった。
「やっぱ、マイプライベートアイダホのキアヌとリヴァーは、神だよな」とか言いながら。
心ある人たちの支えで、全国商工会の審査にパスして支援を受け、サンプルを作り店に置いた。
ローリング・ストーンズのポスターに囲まれた試着室のある場所に来てくれた方々と、日々、あれがカッコいい、これがカッコいいという話を繰り返している。

既に誰かがカッコよくしたものを、上から下へ伝えるような、従来のファッションやアパレルみたいな形ではなく、作るものは、人々とのコミュニケーションの中で変わってゆく。当たり前だけど、着る人が、主役なんだ、って、サラリーマン時代にさんざん味わったモード業界人的な空気に染まると、判らなくなってくる。
追いかけるだけでは、追いつけないものがある、バイクに乗って風と一緒になった者は、それを知っていると思う。
「バイクには、偉大な師のような部分がある」と書いたのは片岡義男氏だったと思うけれど、まったく同感だ。諭すのではなく何かを悟らせてくれる、賢者の思想みたいなものを感じるのだ。
服が、そんな存在になれたら、偉大な師ではなくても、長く共に居て、様々な事を(一緒に)感じ、どこかへ連れて行ってくれる親友みたいな導師(グル)、そんな服を、バイクに乗るときに着られたら、素敵だよな、まったく。
じゃあ、どんなモノ?と訊かれたら、ずばりコレとは言えないのだけれど、やっぱり...でも、日々近づこうとしている。それは、間違いない。
2022年2月、このサイトを公開したら、見ているのが半数近く海外の人だったのは驚きだった。アメリカ人がほとんどだけれど、ウクライナで、見てくれている人もいた。
「友よ」トライアンフに乗っていたボブ・ディランは歌う。「答えは風の中にある」。同じ方を向いていなくても、服で、共に風の中を走っている、そんな気分になりたい。


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