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YouTube講座再開にあたって、いま伝えておきたいこと。

拝啓みなさま、お疲れさまです。木端みのです。

このnoteは、私が運営していこうとしている漫画塾とそれに関するWeb漫画メディアめくるめくについて発信していくnoteです。
こんばんは。今日はまたnoteもくもくインスタライブにかこつけて記事を書いています。

塾やメディアについてまだいろいろ決めかねていて、ここでこう!と新しいことを発表するのは難しいかもしれないのですが、今の段階で構想していることなどを定期的に少しずつ語っていけたらいいなと思っています。

この話をはじめて年単位で時間がたっていて、なかなか進まないことが気になっているかたもいるかもしれません。お待たせしていてすみません。
その間に新しく興味を持ってくださったかたもいると思うのですが、そのっかたがたに向けても説明が不十分で申し訳ないです。

この期間にいくつか変わったこともあり、今回はこの夢が最終的に目指す場所のことについてまとめてみます。

まず、私は現在漫画のお仕事をさせてもらっています。お話から作る漫画家ではなく、作画がメインのコミカライズのお仕事です。
漫画の仕事をはじめたのは、もう20年くらい前です。その時の初連載もメディアミックスでした。長いこと描いていますが、オリジナルの連載は持ったことがありません。

ですので作画については教えられる技術が少しはありますが、漫画つくりのお話の部分について他人さまに教えられることはさして多くありません。
そんな私ですが、漫画を描くことを伝えていきたいと思う理由があります。

昔から人付き合いがあまりうまくありませんでした。
思いを言葉で伝えるのも下手でした。
そんな私に居場所があったのは、描くことがあったからでした。

とてもうまいとは言えない当時の画力でしたが、好きであった分たくさん描いてきて、たまたま身近に描く人がいなかったことで、私は描くひとという個性を与えてもらったと思います。描くことが人よりはできたから、他のことができなくても、私はそこにいてもいいと思えました。

それは、歌うこととか、語ることとか。他のことでもありえたんだけど、わたしにとってはたまたま描くことで。そんなたまたまを持っているひとが今も結構いると思うんです。

具体的に、この夢が動き出したのは生成AIが出始めたことでした。
いろんな考えかたがありますが、絵が描けないひとが描けるようになることはすごいことだと思います。絵は難しいですから。
できないことがひとつ、確実にできるようになるということだと思います。

その事実は、ふたつのことをあらわすと思います。

できないことが減るということ。
できることが増えるということ。
いいことも、もちろんあると思う。
でも、そのためになくなってしまうこともあると思いました。

それが、わたしが絵にもらってきた役割とか居場所です。
表面だけみたら、描くことが人よりできたから特別であれた。
というように映るかもしれません。

それは、なんだかちょっといやらしくも聞こえる。
できる自分がいて、できない他の人がいて、だから自分に役割があって居場所があった。

そういう面も確かにあったんだと思う。
それがなかったら、本当に何一つできない自分のままだったら、得られないものもたくさんあったと思うから。

でも、その奥にはできるようになった理由があったんです。
描くことが難しくて、できないから、できるようになりたい。という気持ちです。
ムキになっていた。自分が出会ってきたもののなかで、いちばん魅力的な絵という存在に、全然手が届かなかったからです。

できないや、と思って諦められなかった。
何かに向いているかどうかの素質みたいなものがあるとすれば、それがこの諦められないという気持ちなんだと思います。どうしようもなく好きで離れがたいという気持ちです。
そういう気持ちがあったからこそ、私は絵をやめなかった。

だから、自分にとって絵が難しいのは当たり前なんです。
今も難しい。だから、ずっと面白いと思っている。

長くなりました。話を戻します。
絵が私に居場所をくれたのは、私にそれができたからだけど、それは絵が難しくって好きだったから。ということです。

私が塾で残したいのはこの気持ちです。

簡単に描けるのはいい。誰にも描けるのもいい。
でも、簡単に描けないから誰にも描けない絵というものを、追い求められる場所を残しておきたいと思ったんです。
届かないから面白い。

そういう絵さんの、漫画さんの、威厳みたいなものを残しておきたいと思った。だから、漫画塾はできれば体全体を使って描くアナログなものがいい。メディアもデジタル化するのもいいけど、それは人が考えて手を動かして描いたものであってほしいんです。

これは描くこと・技術や道具を未来に残す事業であるとは思いたいけど、自分の仕事になるかはわかりません。金銭が発生するかはわからないということです。なるべく、多くの親子さんに描く難しさにぶちあたってほしいからやっているんです。だから、お金はもらえないかもしれない。

労力をかけない、時間もかけない、お金もかけないでものつくりができる日はそう遠くない。それはたくさんの人が追い求めて、達成すると思うからポンコツな私が人を押しのけてでも、すすめるべきことではないんです。
できそこないの私にできること。それは、時代に置いてかれてしまうめんどくさいことをどうにか世界のすみに残しておくことかなって。

そんなことを思いながら生きてます。
描くことを仕事にしている以上、自分の根源にある描く意味について語らないのは嘘になるので、私はこの考え方を隠していません。いまのところ、仕事は過程では評価されにくい。だから、生成AIによって技術が劇的に進歩して人が描くことが不要になった未来で、自分がこの仕事をやめるという想像をすることもあります。

でも、描くこと自体はやめないと思います。仕事をしている倍くらいの時間描いてきて、仕事にならないから描かないという選択をとれるほど、描くことに淡白であることができません。

どんな仕事をしても、私は描くことがずっと好きだし、描くことがめんどくさいから面白いということを伝えるのがうまい自信がある。
この作品はもしかしたら、おもしろくないかもしれない。人にうけないかもしれないけど、描いているあいだ誰よりも楽しめるという自信がちゃんとある。
だから、あんまり進まない夢ですが、この夢を叶えるのは自分がすべきことだと思っています。

とりとめのない話になりました。ここまで聞いてくださり、ありがとうございます。
ありがたいことに毎日忙しくさせてもらってます。
そのなかで、大事なこの目標を忘れず、これ以上自身でくささず、叶えるまでこのnoteを続けていけたらなと思っています。

では、また記事を書きます。

木端みの

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