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大人の階段バリアフリー問題


こどもがすきではない。


こどもの未来を将来の社会人と捉えて、やさしく導こうとするひとの心根はどうなっているのか、正直怪訝に思うことがある。


職場上わりと多くこどもと触れる機会がある。


こどもによって反応はよりけり、その反応によってわたしも対応を変えている。


先日、わたしの他数人が上司に呼び出され特別賞のようなものをもらった。


その際「直近で自分が頑張っていること」の発表会が行われた。突然すぎて正直下手な言葉を並べたくらいしか記憶にない。

そのうちのひとり、一番最後の女性が「お子様は未来のお客様、または未来の職員になるかもしれない」と話していた。

確かに、とも思ったが、どんな紆余曲折を経てもこいつとだけは働きたくないと思うようなお子様さまもいる。


幼さの残る、とか幼稚である・未熟である、という面を「こども」というのであれば20代だろうが70代であろうが関係ないのだ。


その率直で純粋な部分に気付かされるところもあるだろうが、無礼でひとの気持ちを考えないこどもはわたしはどうしても許せないのだ。


こどもを好かない人間は冷たいだとか、はたまた人道的ではないくらいにまで見られる風潮があるため己を押さえつけてはいるが、今日くらいは素の自分を肯定させてほしい。


こどもだからといって、ひとを殺すことが許されていいわけないだろう。

こどもだから、無条件の愛に包まれるのが当然ならば、大人と認定された瞬間からその愛のおくるみは突然剥かれてしまうのか?

大人と呼ばれる人たちが目の当たりにしている現実を、もう少しこどもに見せてやるべきではないかとわたしは思う。






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