結果として目に見えないと理解したことにならない
人間にはDNAという遺伝情報物質が備わっていて、その翻訳によってタンパク質が作られ、体を構成する物質ができていく、というのはよく知られた事実である。
また、突然変異によりDNAに変異が入るというのも知られている。
この変異は重要な影響を及ぼすこともあれば、何ら影響しないこともある。
遺伝物質であるDNAには4種の塩基配列が知られていて、その塩基が3つ組になってアミノ酸を指定する。
このアミノ酸を指定する塩基配列には重複するものもある。
つまり、異なる3つ組の暗号であっても同じアミノ酸を指定する場合がある。
よって変異が入ったにもかかわらず、表立って生物に変化は起こらないのである。
また、読み枠ではない配列に変異が入っても何ら変化はない。
そもそも、DNAの配列のうち、読まれてアミノ酸を指定する意味のある配列と、読まれずにアミノ酸も生み出さない無意味な配列があり、無意味な配列に変異が入っても変化はない。
これらは、変異が入っても変化はないということから、サイレントミューテーションなどと呼ばれる。
塩基配列単位で見れば変化はあったはずなのに、全体として表れる形質としては変わらないのである。
似たようなことが、病原菌やウイルスの感染でもある。
病原体に感染しているのに症状として表れないパターンである。
こういうのを不顕性感染という。
人の学びにも同じようなことがあると思う。
何かを学んだとして、自分の中に知識として吸収して蓄えたつもりになっていても、外から見た人には、何ら変わっていないと思われることがある。
行動が伴っていない場合である。
誰かに注意をされても、「そういう考えもありますよね」で終わらせてしまい、行動として示さなければ、話を聞いてなかった人という扱いで終わる。
宗教に勧誘されて、「そういう考えもあるのかと感心しました」と口で言っても、実際にその宗教に入信しなければ、勧誘した側は理解してもらえたとは思ってくれないだろう。
自己啓発本なんかを読んで、最新のビジネス思考を理解したつもりでいても、その思考から生まれる何らかのアクションを起こさない限り、実態としては何も変わらない。
どんなに自分で理解できたと思っていても、テストで間違えてしまえば、それは理解できていないことになる。
点数が上がらなければ、理解できていないと見なされる。
何かを理解する前の自分がいた世界と、何かを理解した後の自分がいる世界で、世界は何ら変わっていない。たとえ自分の中で大きな変化があったとしても。
世界は個人の心の中の変化に興味などない。
行動に変化があったときに初めて変わるのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?