見出し画像

第一章

 うつわをうつわ

わたしたちはご飯を頂くとき、お茶碗に装って頂く。
茶碗ではなくお茶碗、飯ではなくご飯と言うように、何気ない日常会話の中で
食べ物や器に対して尊重した呼び方をしている。
日本人の主食であるお米が日本の社会、文化、風習を築いてきたことは言うまでもなく、お米に関連する言葉にはそういった尊重が表されている。
稲は命の根、いのちそのものがぎっしりと米られたその実がお米である。
そのお米を頂く器である。ただのモノではいけない。
だから日本人にとって、お茶碗は特別なものなのだ。

ここで、作陶家・駒ケ嶺三彩さんの言葉を紹介したい。
「いのちをつなぐ」という視点から見たとき「食器」もまた「いのちをつなぐ場」であると思います。なぜなら食器とは、様々な生命の供養と感謝の場だからです。

↑ トップの画像は駒ヶ嶺三彩さん作「音花」


モノではなく「場所」であるという感覚、手のひらに器を乗せたとき、その場所に生命が横たわっているという感覚。
それは、お茶碗は左に、お椀は右に、という日常の配膳さえ、神聖な儀式のように思えてくる。
日本人の心の姿が、こんなところにも投影されていたのだ。
私は思わず、人類がこの世界ではじめて器を作ったその瞬間に思いを馳せた。

お茶碗を祖末に扱ってはいけない、まして、叩いて鳴らすなんて「バチが当たるよ」と言われても仕様がなさそうであるが、そのまさに、お茶碗にバチを当てて、チンチンと鳴らして演奏する、それが碗琴である。

碗琴とは

碗琴とは、お茶碗をピアノの鍵盤のように並べてバチで叩いて演奏する「楽器」である。
楽器、というものの、もちろんそれは「食器」である。
種も仕掛けもありません、そのものの姿なのだ。

ここで、お茶碗の定義付けをしておきたい。今日では「お茶碗」と言えば大抵ご飯茶碗のことを指すが、ここでは磁器を総じて「お茶碗」と呼ばせて頂く。

お茶碗の歴史

私たちはご飯を頂く器を「お茶碗」という。「ご飯茶碗」と言ったりもする。お茶を飲む器でないのに、お茶碗、ということは、考えてみたら不思議なことのように思う。
この由来を辿れば、平安時代にさかのぼる。日本において磁器のはじまりは、平安時代に中国から禅僧が持ち帰った「仏器」が始まりで、その後鎌倉時代には僧侶を中心として上流階級の人たちの間で茶道が広まった。
(ここでまず、お茶碗の起源が「仏器」であったことに心躍るが、それはまた後に触れることとする。)
室町時代になると、茶道で使用されていた「お茶碗」が磁器全体の代名詞として呼ばれるようになる。当時は中国から磁器を輸入しており、その中で茶道に使用する器が一番多かったことから、磁器そのものを「お茶碗」と呼ぶようになったという。
江戸時代に入ると、それまで一般庶民はご飯や汁物を装う器として、木製のお椀を使っていたが、この頃には国産の磁器も作られるようになり、一般庶民も日常の食事の際、陶磁器の食器を用いるようになる。
こうしてお茶碗はお茶のための器から食器へと用途が広がって行き、便宜上、お茶を飲むための茶碗を「抹茶(煎茶)茶碗」ご飯を頂く器を「ご飯茶碗」と区別して呼ぶようになった。
その中でも、やはり主食であるご飯を装うご飯茶碗の使用頻度が高かったことから、単に「お茶碗」と呼ばれるようになったという。
ちなみに、磁器は「石もの」と呼ばれることもあるが、これは原料が陶石であることからで、陶土を使って焼いた陶器は「土もの」などと呼ばれたりする。

【陶磁器】陶器と磁器。焼き物。
【陶器】土や石の粉でかたちを作り、うわぐすりを塗って焼いた器物。(広義では磁器をも含む)
【磁器】白色のガラス質の硬い焼き物。有田焼・九谷焼などが上等とされる。
(三省堂 新明解国語辞典 第七版)

(2012年執筆、2020年加筆)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?