何度目かの帰省

大阪に帰って来ると、頭がパンパンになる。あまりに日々が濃いので、消化不良のままの、忘れてはいけないはずの記憶が、ポロポロと抜け落ちていく。

集中するということは、それ以外をすべて捨てることだ。でも罪の意識を持つ義務はないのだと自分に言い聞かせる。何事も順番でこなしていくしかない。わざと、忘れたり思い出したりを繰り返し、一つずつ、丁寧に言葉にしていく。

あのとき精神的に独立することを思い、自分を雁字搦めにしていた、理想という名の鎖から自由になった。楽になったと思ったのは束の間、今度は経済的にも、今以上にしっかり自立せよ…と。

愛のむちだとわかっていても、生きていけなくなるくらい孤立することが怖くて、不安に勝てない。単刀直入に言って、捨てられた気になる。テーブルから目を逸らさないまま、機嫌悪く、曖昧な返事を繰り返した。

あと何度会えるか分からないのに、私はいったい何のためにここへ帰ってきたのか。自分の未熟さが嫌になる。経済的に支えてくれることだけが、愛の証明ではないことくらい、分かっている。

情けなくて、いっぱい、いっぱいで涙がでた。一番感謝している人なのに、自分のためにいつまでも無理をさせたいのか。お得意の、あとまわしと言い訳して、見ないふりをするのか。それでほんとうにいいのか。ほんとうに後悔しないのか。

エゴと愛が戦っている。自分のためか、相手のためか。祈っているだけでは、人を幸せにはできない。

明日、東京に帰る。

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