釜ヶ崎、越冬闘争 #meno

一日目
12:30 JR新今宮駅で先輩と待ち合わせ
近くの喫茶店でアメリカンを飲む

13:00 学生メンバーと合流
宿舎で団体概要、活動内容、注意事項の説明を受ける。以下リスト。

・学生企画ネットワークは今年5年目。越冬闘争の他にも様々な活動を行っている。
・釜ヶ崎は、①ヤクザ②警察③活動家の微妙なバランスの元になりたっている。活動拠点である三角公園には私服警官が潜り込んで学生の情報を収集しているため、絶対お互いを名前で呼ばない。
・何か分からないことや不安なことがあれば、労働組合の「三浦さん」に聞くこと。
・現場を離れる際には、必ず担当者に声をかける。道に迷ったらすぐに指定の電話番号へかける。
・幹部の自己紹介、宿舎の部屋割り説明など

14:00? フィールドワーク
担当:三浦俊一さん
釜ヶ崎反失業連絡会
釜ヶ崎日雇労働組合副委員長

・ボランティアについて。本来の定義は「慈善」や「奉仕」ではなく「自発」。
・反貧困を掲げて活動してきた。貧困とは社会の仕組みの中にあるもの。感性と理性を削ぎ落とす。日雇いで働いてきた労働者たちは、自分の身体一本で勝負してきた。人との関係がうまく作れない。「コミュニケーション」の視点から捉えてみて。
・昨日の野宿者はこの地区だけで約500人。シェルター利用者は189人。一年に122人が亡くなった。
・就労支援に加え、現在は教育支援にも尽力。中卒をなくしたい、という思い。中卒の給料は15万以下。生活保護より少ない。今の労働者の80%は中卒。両親が中卒の家庭では、働くことより高校に行くことが大切という価値観がない。しかし、高校に通う年齢は、重要なこころの育成期。
・平均寿命は73歳。
・就労支援について
・差別は誤認識から生まれる

・ドヤで暮らすということ
荷物の置き場所がないため、持ち物は全てロッカーへ。毛布も捨てちゃう?人口減少、高齢化、生活保護制度の変更(居住保護、2007)を受けてドヤ→福祉施設へ。
・2万〜2万4千人が生活している(人口密度高い)、8400人が生活保護を受給。
・生活保護について:7つの補助
生保受け3畳一間で暮らす→眠れなくなる→お酒飲むの悪循環。生保に加えて仕事できるようにしたい

・あいりん労働センターについて
70〜74年(高度経済成長の末期)、大阪万博のために作られた。エネルギー政策の転換によって失業した元炭鉱業従事者や、農家の次男坊などが大阪へ出稼ぎに。しかし73年のオイルショックで雇用激減。

・貧困の固定化について
正規雇用は翌月支払いのためNG
賃貸物件は前家賃のためNG
→日雇いしてドヤ住まい

・白手帳
日雇い健康保険
あぶれ手当て

・職業紹介について
福島の除染作業…被曝に関する説明一切なかったため、約一年後に仕事紹介禁止に。被ばく労働者ネット
→しかし反発も。仕事なくなる
基地や原発がなくても食えることが大切

・病院で
「アル中」→精神疾患と書かれるため仕事得にくくなる。

・あいりん地区の学校「排除」
シャワーで水を掛ける
そもそもの原因考えない
自己責任論が強い
※生保も「更生法」が元。
・居住環境悪い
→結核や皮膚の病気
・介護バブル


個人質問

・スタイルの変化
釜共闘→反失業(仕事斡旋、シェルター)
行政からもらったものはない
スタイル変わってきたから続いている

45年前 公園立ち退きされた
まるっとかえる→「継承性」
今は過去の積み重ねだから、自分の時代にケチをつけるのはおこがましい。社会運動を深く広くして行くことが大事。次の世代が社会を作って行くしかない。
×自分の〜なわばり意識

「メシが食えなきゃ運動続かない」
「成功事例をつくること」
「コンセンサスを目指す」
×自己犠牲


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