釜ヶ崎のジレンマ

ここ一時間くらい、同年代の女性に遭遇していない。ブルーシートや段ボールで作られた家々で占拠された道路を歩きながら、ふいにそんなことに気が付いた。

自分の故郷、大阪を知りたいと帰った今回の帰省。訪れた場所の一つ、日本最大の日雇い労働者の街「釜ヶ崎」は男の街だ。

JR環状線の新今宮駅で降りて、三角公園まで歩く。若い女性が通ることは珍しいのだろう。痛いほどの視線に、笑いに来たのかと責められている気がして話しかける勇気が出ない。カメラを出すなんて以ての外。静かに歩き続けた。

三角公園と呼ばれる萩ノ茶屋南公園は、路上生活をする労働者たちの憩いの場だ。NPOや慈善団体によって頻繁に炊き出しやイベントが行われる。最低気温が9度を切った今日は、寒さをしのぐため焚き火をしているのだろう。立ち上る煙が、まるで目印のように存在感を放っていた。

公園の脇にある商店街に入り、一番立派な門構えの喫茶店の暖簾を選んでくぐる。従業員の若い女性が、柔らかい笑顔を向けてくれた。無意識に安堵のため息が出る。

19世紀の思想家、ラルフ・ワルド・エマーソンは、恐怖は常に無知から生じると定義した。打破するためには、話しかけてみる少しの勇気が必要だ。

「ここは長いんですか?」50歳くらいの眼鏡をかけた真面目そうなマスターに声をかけた。

昭和50年に両親がこの地で開業し、自分は後を継いだのだという。従業員の女性は自分の娘だそうだ。

取材しに来たことを打ち明けると「外の人が言うほど怖い人たちやない。暴動のときも、機動隊に石を投げたのは他県から来た人が大半」。

ふいに表が騒がしくなった。近くで窃盗があったらしい。警察が慌ただしく店内に入って来て、防犯カメラを見せてと言う。そっと、客同士の会話に耳を傾ける。

「窃盗?どうせ、朝鮮人か中国人やろ」「せやせや、やつら何人かのグループでやりおるからな」。

マスターや客たちの意見の真偽を判断できる力は私にはない。しかし自分たちとは違う「誰か」に、自分たちが平和に生きていくための敵役を演じさせるようなことがあってはならない。そう思う。

帰り際、五、六人の警察官に囲まれる男性を見かけた。「なんのためにやったんや!」荒々しい怒号が飛び交う。男性の側には寄り添って、不安そうに見上げる女性の姿。

マスターたちの意見は正しかったのだろうか。私の意見なんて所詮、部外者の綺麗事に過ぎないのか。警察官に囲まれて小さく縮こまった灰色の背中に、問いたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?