地域で根を張り生きていく

幼い頃から「地元」に愛着を感じる機会が少なかった。物心ついたときには、家から遠く離れた、私立のカトリックの幼稚園に通っていた。住むところが何度か変わったこともあるのだろうか。「地元」と聞いて思い浮かべるものがない、人がいない。辛うじて脳裏に浮かぶのは、ぼんやりした風景くらいだ。

当時は私立に行かせてもらっていることを誇りに思っていた。だから同時にある意味、公立を下に見ていた部分があった。

※世の中には、公立にいけない頭の悪い子が私立に行くのだという認識もあることは、卒業してから知った。

けばけばしいピンクのスカートに、真っ赤なランドセル、ツインテールにした長い髪。私にはそんな派手な私服よりも、真っ黒のランドセルと、真っ白なシャツ、刺繍の入った紺色のベレー帽の方がかっこよくみえた。

クラスには障がいを抱えた子は一人もいない。(良い悪いではなく事実として)

夏は海、冬はスキー、修学旅行は長崎にと、色んなところにいった。

公立のことは何にも知らないが、みんなが同じものを食べる(らしい)給食より、それぞれの母親が工夫を凝らしたお弁当制度の方がなんとなく好きだった。

でも、一つだけさみしく思うことがある。それは、今に残る関係性がないことだ。

地元の小学校で育ち、そのまま地元の中高に進んで、じっくり人間関係を育ててきた友人が、少しうらやましいときがある。

私にとって「幼馴染み」は、母親の友人の子どもである。一方で、友人の母親である「おばちゃん」は、友人関係を破壊する強敵なのだ。

…もちろんそれが全てではないけど、そういう側面があったことは間違っていないと思う。


新聞記者は、地域と生きていく職業だという。その土地に住む人と出会い、話を聞き、記録し続けていく。

特定の場所で根を張り、受け入れ、明るく関係性を積み重ねていくのだ。

人生で、実は大切なものってそんなに多くないんだと思う。それでもわたしはあんまり…そういうことをしてこなかったのかもしれない。少し反省した。

年末に小学校の同窓会があるらしい。当時一番仲の良かった友人は今、元気で頑張っているのだろうか。

立ち止まり、過去に思いを馳せる私をよそに、時間はゆったり、でも確実に過ぎていく。

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