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「理想の自分」について考えてみた。

数年ぶりにnoteを更新する。

 ひとまず自己紹介などは
 置いておこうと思う。
 まだ今後の展望はあやふやだし、
 そう何度も自己紹介記事ばかり
 書くものでもないだろうから。

 数年前にnoteに投稿したときは
 自己紹介をキッチリ書いた。
「毎日noteに投稿すれば
 何者かになれる」

 とんだ勘違いをしていたためである。
 noteを毎日投稿して、
 毎日noteなどというタグをつけて、
 本の感想や占いの道具のレビューや、
 仕事の愚痴などでも投稿し続けた。

 そうしていれば
 「自己紹介をした私」という存在は
 いずれ誰かの目に留まり、
 読者という他人の目を利用して
 「何者かになれる」と思っていた。
 思い上がりもよいところである。

 こうした
 「自己を発信するツール」は、
 私にとって
「他人の目を通して
 何者かになるための道具」
 でもなければ、
 他人に
「私という存在を
 知らしめるための道具」
 でもないことに、
 あの時の私は気が付かなかったのだろう。

「理想の自分」を考える。

 ではなぜ、
 私はもう一度noteに
 投稿しようと思ったのか。
 今回の答えは至ってシンプルである。

 「私のため」だ。

 今日、こんなものをやってみた。

 いつから広まったか、
 私はよく知らないが、
 自己啓発や自己理解で
 最近よく取り沙汰される
 マンダラートチャートである。

 大谷翔平氏が書いたものが
 有名だろう。
 1つの大目標を立て、
 8つの小目標を立て、
 それぞれに8つの解決策を書いて、
 81マスを埋めていくものだ。

 私がこれを知ったのは
 新卒の頃である。
 新卒研修の一環として教わった。
 以来、私にとって
 これはとても相性の良い
 思考整理方法となった。

 単純でありながら、
 直感的に行うことが難しい。
 しかし頭で考えすぎては
 マスが埋まらない。
「ある程度の妥協をしながら
 理想の自分の輪郭を掴む」
のに、
 この方法はうってつけであったのだ。

 今、私は人生で
 最大のピンチに陥っている
 と同時に、
 恐らく人生で最後の
 「モラトリアム」を味わっている。
(味わわざるを得なかった、
 というのが正直なところであるが)

 この期間があまりにも長く続くと
 「自分というもの」が
 わからなくなる。

 尤も、そんなものを
 完全に理解している人間など
 いないだろうが。

 少なくとも
「他人との関わりが少なくなり、
 自分の時間を多くとれるもの」と、
「他人との関わりに追われ、
 自分の時間がないままに
 生活するもの」とでは、
 自分というものへの
 焦点の当て方が変わるはずである。

 私は、今
 「他人から見た己のこと」も
 「自分から見た己のこと」も
 わからなくなっている。
 八方塞がりで、気持ちも落ち着かない。
 目的が定まらないから、
 こうなるのだ。

 そこで、急にマンダラートなど、
 やってみることにしたのである。
 「私の考える理想の私」とは
 何かを考えるために。

「形から入る」。

 私の思う理想の私は、ザックリ言えば
「好きなことを
 やっているだけでいい存在」
 
になることである。
 何とも甘ったれた話であるし、
 こういう言い方をすると
 そういった人たちからは
 怒られるだろうが、
 要するに
 「インフルエンサーを気取りたい」
 
のである。

 何かを発信するだけで持て囃され、
 自分が好きなことだけを
 好きなようにやるだけで
 金がもらえる。
 試供品という名目で
 新製品を試す権利が与えられ、
 レポートをするために
 どこかに行くときは
 旅費と取材費が与えられる。

 誤った認知ではあるだろうが、
 私のような素人から見れば、
 インフルエンサーというのは
 そういうものである。
 どこにでもいるような一般人が、
 他人より「伝える力」に秀でている
 
というだけで、特別になる。

 noteというツールにも、
 そういう人が多くいるだろう。

 私は基本的に、
 著名人ではない人のSNSに投稿された
 記事や動画を見ることは苦手なので、
 noteではどのくらいの人が
 それに値するのかは知らないが。

 とにかく、
(たとえ、
 こうした愚痴のようなものであれ)
「何かを上手く伝えている
 素振りをするだけ」で
「誰かから認められたような
 気分を味わいたい」
 
のである。

 当然、この程度で
 「何者かになれる」わけがない。
 noteを始めた頃の私は
 それが分かっていなかった。 

 だから「見てもらえず」心が折れた。

 では、次に
「インフルエンサーを
 気取りたいことに気が付いた私」

 何をするのか。

 「形から入る」のである。

 こうして、
 クソの役にも立たない
 持論を垂れ流して、
 「何かを発信した気分」を
 味わうのだ。

ひたすらに「自分のため」に。

 何かを発信するのであれば、
 当然「ターゲット」が必要だろう。
 こうして書いている文章も、
 誰かをターゲットに
 しなくてはならないし、
 投稿時には
 図々しくタグなどをつける。

 形だけでもインフルエンサーを
 気取りたいのならば、
 投稿の形も気取らなくては。

 だが、しばらくは、
 特定の読者層などというものは
 考えないこととする。
 こうしてnoteを復活させた私は、
 今度は「誰かの目に映り込んで、
 自分を認知させよう」とはしない。

 それでは、本末転倒である。

 マンダラートに書いたように、
 「やりたいことができている私」
 なるように、
 「必要以上に他人のことに怯えぬ私」
 となるように、
 ここでの我が侭は、
 ご容赦願いたいものである。


20230714 投稿
20230929 加筆・レイアウト修正。
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