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幕間 チタン棺の秘密

ナタリア・ククーシュカは音を立てずにイントレへ着地する。ほど近くには煌々と眼下を照らす高出力ライトが肩を並べていて、たとえ何かの拍子にスタッフが視線を上げようと、情報係の斥候など見えるはずもない。
かなりの高さから飛び降りたのに静かに動けたのは、ナタリアの身体制御能力の賜物……だけではない。彼女もそれを分かっていて、そっと“椛重工”の抗重力シューズを脱ぎ、鞄に詰めた戦闘用義体のつま先と差し替える。
「ナタリアさん、このまま直進してください」
「ああ」
……円城寺椛を奪ったかもしれないブロック連マフィア。この施設はそのマフィアと関わりがあると目される、サンズグループの造船所だ。マフィアの足元でこのように身をかがめて潜んでいるのは、ナタリアにとってもおキャットにとっても、つまり先の襲撃事件で何らか抱えている課員にとっては、複雑に感じながらも……ある種願ったり叶ったりの弔い合戦だった。
さて……そうはいったところで、この設備を焼け野原にして敵を討とうというわけではない。ナタリアはあくまで冷静に走る。視覚情報にオーバーラップされた設備内構造を確認し、監視カメラの死角を的確に選びぬき、監督からの報告会が行われている――らしい、3Fへの道をただ走る。
「外部での諜報は特対の仕事とばかり思っていた」
「その特対はマフィアの直接鎮圧に忙しい状況です。それに……」
「ああ、まあ……適材適所ではあるか」
おキャットが言いかけたことは、つまりこの設備内の特異な状況にあった。造船所の規模に比べてスタッフが少ないのだ……無人の作業場がかなり多い。ナタリアは伝達システムのメンテナンス作業員としてここに入り込んだ時、そのがらんどうの有様に大きな違和感をおぼえたものだ……「サンズが……?しかし……いえ……でも確かに、妙なところはあるんです」グループ従業員が少ないということは、国分寺に共有されたとおりだ。笑顔のままでも、わずかに不安そうな彼女の顔がよぎる。
走りながら、ナタリアは視界を走査する。柱の中でいくつも埋め込まれた小さなブラックボックス。“アクセス権限なし”の情報端末のサイン……いや、柱のものは、情報端末などではない。
見下ろすと、業務終了後だというのに階下でひとりの全身義体スタッフが、柱のボードをパンチしてチタニウム製の殻を展開させている……メンテナンスのため、セキュリティが一時的に溶かされて、組み込まれた電脳が……識別コードの見えない電脳が、今スタッフのアクセスを受け入れている。空間把握の酷使によって、頭頂連合野が焼き切れててしまったらしい。スタッフは笑っている……替えを持ってこないとな。そう言って笑っている。
ナタリアは視線を上げた。監視カメラ、設備内のセキュリティシステム。造船クレーンの操作が雑にインプラントされた従業員の脳で繰られているならば、これらの監視システムも脳で行われているのだろうか?設備内ブラックボックスの全てがそうだとは考えにくいが……各ボックス間のリンクは視覚化されている。どのセンサーがどの機材に繋がっているか……は、知識のある情報係の方が直感的に把握できるし、捌くことも容易になる。

ナタリアは一度あたりを見回し、ゆっくりと息を吐き……わずかに鋭い目つきのまま、再び駆け出した。

……

「……作戦は以上だ」
「外交、情報処理、いずれの手段でも調査の埒が明かない彼らのことダ。ローカル通信でやり取りは完結させているだろうカラ――」
「――直接乗り込んで、大きな金の動きを探る。ですね。分かっています……ローレルさん」
「ナタリアくん、その前に、キミは偽造身分証で日雇いパートタイム労働者として入ってもらうカラ……みみみチャン、向こうの会議室でちょっと髪型を変えて写真を撮ってきてあげて……かわいくネ!ハハハ!」

……

「おキャット」
「なんですか、課長」
「……ナタリアと軋ヶ谷のことだが……なんというか、少し気にかかるんだ。見ていてやってくれないか」
「……」

……
…………

おキャットは思い出す。設備内ネットのごく狭い範囲を分体で走らせながら、わずか3日前の会議で投げられた一言を。
ナタリア・ククーシュカは人を寄せ付けないようなつっけんどんな態度を取ることもあるけれど、何度か一緒に仕事をするうちに、彼女の優しさや、硬質なレンズの奥の……危ういほどまっすぐな部分に気がついた。おキャットはそういう所が彼女の魅力なのだろうと思っていたし、彼女は情報係の隙間を埋める重要なパーツだと感じていた。
……だから確かに、“D案件”でナタリア・ククーシュカが見せる、痛々しい表情に……いささか不安があった。気のせいかとも思ったが……皇純香の言葉で、うっかり確信してしまった。

「どんな様子かな」
「うん……大丈夫です。もう3F」
「誰が管理者なのか、とんと見当がつかないから。決め打ちも虱潰しも危険だ……なんてね。もうちょっと余裕があれば揉み消せるんだけど」
……設備の裏で張っている軋ヶ谷の、声門を震わせない声だ。……おキャット本人は、軋ヶ谷の隣で量産の人型義体の膝を抱えるように座って、金のおぐしを弄っている。隣同士だけれど、音には出さず通信で会話を行った。見ていてやってくれ。と言われたのは……軋ヶ谷も同じなのだ。ひとりにしないように、単独行動にならないように……こうしておキャットは膝を抱えている。

ナタリアからの通信が聞こえる。扉を回り込んで、一度天井裏に入り、隣の部屋越しに音声を取れば……この設備の責任者が判別できる。いっとう問題だったのが、造船所のトップが誰かという情報の不在であった。狙うべき点がひとつなら、多少危なっかしい真似をしても電脳越しになにか情報を吸い取れたかもしれないが……その部分に関して、サンズ造船所は異常に強固なプロテクトを持っていた……だから怪しい。だから調べられる。
「……ハ、まあそうかも知れないと思ったけど、会議の外部参加者も電脳使用者らしい」
音が聞こえないってことかい?」
「そういうこと……」
ナタリアの持っているアクセス権限は当然会議参加者の通信を傍受できるようなものではないし、万一権限があったとして……通信部屋(チャットルーム)の門を真正面から叩くのはなにもかもバレバレになる。
……つまり、
「手はず通り、第2フェーズへ移行する」
おキャットはナタリアの通信を聞いて、意識のピントを分体に合わせた。ナタリアの電脳内に置いた分体と、造船所設備内で身を隠して走らせた分体だ。ナタリアは手際よく床面の殻を取り外し、“3F通信機器”にリンクを持ったブラックボックスを確認した。これは……脳ではない。どこか安堵しながら、ナタリアは極小のインターフェースをいじり、半ば強引に――おキャット分体を流し込む。並のセキュリティならばダウンを引き起こせるし、うまく行けば――
――ッはッは!そういうことで。5000と4000で頼みましたわ、立山監督
「取れました。立山です」
「ありがとう。ふたりとも……ナタリアさん、すぐに脱出して」
一瞬――サイレンが鳴る。すぐに収まるが……会議室からスーツの男たちが慌ただしく出てくるのが見える。
そしてどこからともなく……アンドロイドが現れる。大量に。地獄の、角刈りの、恐るべきサングラスの殺人マシーンが、設備を取り囲んでいく。

しばらく怒号が聞こえ、何度か銃声も響いた。軽い爆発音と……そして合成の生体パーツが燃焼する香り。
立山――立山雷鳥は、撫で付けた黒髪を直しながら、煤けた作業場で息をついた。なんでも、数日前からこの造船所に入っていた低所得者がセキュリティに火を付けてバカをしたらしい。それで――間抜けにも照明を伝って脱出しようとしたところを、警備の角刈りに――1F床面に所狭しと格納された、30人の任侠デストロイヤー部隊に銃撃され、徹底的な暴力行為を受けたあと、ガソリンを用いて燃焼させられたらしい。
大方ここの技術をセキュリティ越しに盗んで小銭を稼ごうとしたのだろうが……間抜けな手合だ。遺体はもはや何がなんだかわからないほどに損傷しており、床に散らばった金髪くらいしかまともに判別できるものはない。アンドロイドはたしかに徹底的だが、ここまで暴力行為を続行するほど男気の塊だっただろうか。捕らえてクライアントを吐かせた方がいいだろうに……とは感じたが、ともかく産業スパイを排除できたのだから、万事オーケイという調子だった。
立山は床に戻っていくアンドロイドのうち、一体がやや脚をもつれさせ、こちらに接近してくることに気がついた。気になって歩み寄ると……どうと重々しい血の掟イウムの肉体でもたれかかってくる。ざらついた手のひらが首に刺さって痛い。
「やめないか、どうしたんだ……メンテナンスが必要か?」
「……」
アンドロイドは会話をしない。その男気が彼らにとって唯一の言葉なのだ。様子のおかしいアンドロイドはしばらくフラフラしていたが、そのうち……突然きびきびとした動きになって、チーフ用のアルコーヴへと収納された。立山は鼻を鳴らして……今回の会議は持ち越しだな。と頭を振った。

……
……

『やめないか、どうしたんだ……メンテナンスが必要か?』
ナタリアは少し笑いながら、立山の電脳越しに見る角刈り・アンドロイドの屈強な面構えを眺めた。
「設備内からじゃないと傍受できないし、プログラム自体を相手側の電脳の信号パターンに馴染ませる構造上、完全に同一化してしまったら動かなくなるけど」
「……それまでの間に、何かマフィアとつながる情報を目にしてくれるといいですね」
おキャットはナタリアの電脳越しに会話する……そして、騒動の最中にアンドロイドへと残した分体を適当に増殖させて切り離す。二度とアルコーヴから出てこれないかもしれないが、角刈りの頭の中はもうひとりっきりではないというわけだ。
監督クラスのスタッフの人相は把握できていたし、首に端子のある立山がトップだったことはかなりラッキーだった……いや、会議に参加していた外部スタッフ……青筋立った金髪男にアクセスできればもっと有意義な情報も得られた可能性があるが……確実性はない。立山のようにのほほんとした人間でなかった可能性もある。
ともかく――身分偽装と遠隔義体一体分の費用で、十二分以上の潜入捜査は出来た。違法性はまだ見当たらない……ただし、大きな金の動きがあるのは確認している。あの額だ。ブロック間の金銭移動を確認すれば、万一立山の電脳越しになんの有益な情報が見つからなくとも、次に調査を行うべき矛先は見えるかもしれない。
おキャットはナタリアの視界越しに軋ヶ谷を見つめ――次に軋ヶ谷のARコンタクトレンズからナタリアを見つめた。ふたりとも満面ではないものの、笑顔でいる。ようやっと――おキャットはほんの少しだけ、緑のアウトラインで出来た口角をちょっぴり釣り上げた。