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幕間 ありふれた手段

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「ああやっと終わった。俺もう帰って寝ていい?」使い古しのオフィスチェアに座ったガメザが、子供のようにくるくる回転して、翠の髪を揺らせている。
すらりとした体の至るところには包帯が巻かれ、肌の見える位置には黒やら黄色の大小様々な痣が見て取れた。
そのガメザの隣でクスクスと笑っている少女が首を振る。「ダメですよ~ガメザ先輩」
薄い髪色のツインテール、けだるげな目をした少女、瑠璃川の肌にも、大振りなガーゼが2つほど貼ってある。接着面が障るのか、ときおり小振りな爪先でかりかりと弄っている。
――傷だらけなのは当然だ。先の作戦、ド取を相手にした直接戦闘より、3日も経っていないのだから。

「そうですね。もう少しだけお付き合いください」と、打ちっぱなしコンクリートで出来た部屋の東端、カーテン越しのスライドドアを引きながら、清潔なシャツに青黒いサングラスを掛けた、背の高い男、フェリックス・クラインが現れる。
「先生、さーっき、俺の検査はもう終わりって……」確かに――ガメザの手にしたタブレット端末に浮かぶチェック・ボックスは、そのすべてにV字の記号が入っている。重覚値、体細胞の汚染の有無、意識系の動向図。異常なし、異常なし、異常なし。もとより重化生物としての性質を持つガメザが、実際重熱に暴露してどのような異常事態が発生するか、誰にも分からない。このためこうして――メ学の地方設備、環境課管轄ブロック内北東、第6実験場にて、各種のことこまかな検査を行っているのだった。

「はい。終わりです。ですが瑠璃川さんの検査結果がありますからね。ここで聞いてください――」
「――フェリックス。私のタオルはどこだ」
フェリックスがコンソールをプラスチックの机におき、何やら言おうとしたときに、月島統四郎の声がして、ドアより濡れた髪を揺らす小柄な女性の顔がのぞいた。
「シャワールームの上の棚です……ネロニカ、台を」フェリックスは振り返らず少しだけ声を張って、メ学の箱入り娘に声をかける。「はい」完全に無の表情のままだったネロニカは、振り返るときだけ愛らしい笑顔を一瞬振りまく。
「それで、なんでしたっけ。そうそう。瑠璃川さんの検査結果です。ネロニカはきっちり仕事をしてくれたようですね。素晴らしい」コンソールをいくらか触ってフェリックスは向き直り、ガメザと瑠璃川の電脳にいくつかの数値データと図版を送る。
「待って、コレ……コイツの、なんのデータ……」
「聞いてなかったんですかあ。は~でもでも、聞いてても覚えられないのかなあ、ガメザ先輩の頭だったら~」
「コイツ……」
「瑠璃川の、超能力のデータですよ」
その通りで、ネロニカが病的な手際の良さで計った様々な数値は、瑠璃川ラズリのいうところの超能力、“先天性の重熱操作”のデータであった。……ガメザの検査を打診する際、フェリックスがこの機会にぜひ計測しておきたい。と言ったのだ。
「今後の戦闘作戦を立てる際に役立つ可能性がありますからね。勿論単純な好奇心もありますが――神長倉・クレム・胤嗣の重熱暴露による影響は、瑠璃川さんの方にしたって、気になるわけです。自己申告では以前とお変わりないようで。よかったですね」フェリックスが微笑む。
ガメザは神長倉の名前を耳にして一瞬怯んだように眉をひそめたが、ちょっとだけ呼吸をして、「でもなんでその結果を俺が聞かなきゃならないワケ?」と聞いた。
聞いて、ですから「今後の、作戦のためです。今後、再びド取班員を相手取ったとき、瑠璃川さんの力で何がどこまで出来て、そしてどこまで出来ないのか。それを知らなければ、このガーゼは2枚で済まないかもしれませんから」と四次元の専門家は返す。
そうすると、ガメザは少しだけ浮かせた腰を戻し、椅子の回転を全く止めて、まっすぐ向き直った。「ちゃんと覚えられっかな……」
フェリックスは眼鏡を少しだけ下げてみせる。
「音声レコーディングしておきましょう。ガメザさん、電脳のセキュリティをパス付きで開いて。はい、入れましたよ」「えッ?!今イジったの先生か?!電脳だったの」
とても古い型ですがね。と返しながら、フェリックスは画像が沢山入ったプレゼンのデータを電脳に送ってくる。「では瑠璃川さんの力について説明いたしましょう」

***

とうとうと話される。それは瑠璃川ラズリが持っている重熱の操作能力であり、聞けば複雑な式の組み合わせだった。ガメザは式を録音したものの、もう一度聞いても何がなんだか分かりそうにはない。
「瑠璃川さんの力は、端的に言えば“知覚できる物体の移動”――“視界の前面200度、50m範囲内、合計80kgの質量を加速させる”というものです」
「自分で背中に回した物体は扱えますが、全くの死角にあるもの、そこから飛んでくるものは操作できません」
脳内で、見覚えのあるようなないようなデフォルメ具合のフェリックスが、中型……いや、小型のスクーター・バイクを片手の上で浮かべてニッコリと微笑んでいる。――後頭部に、矢が刺さる。いや、誰が描いた絵だ?何を見せられているのだろうか?
説明は続く。「瑠璃川さんは普段、自身の浮遊と加速に“40kg”分を割いています。割くと言いましたが、先程言った通り、瑠璃川さんが扱えるのは"合計80kg”です。ですので集中力が持つ限り、“残り40kg分”浮かべる、移動させる物の数を増やすことが出来ます」
「普段扱っている自身の体やナイフなんかは力を最適化させて容易に、精緻に、移動させることが出来るようですが、初めて扱うものは、随分挙動の精度が落ちてしまいます」
じゃあ、「コイツ、浮かなきゃもっといろいろ持ち上げたり運んだりできるのか?」ガメザが聞く。「そのようです」フェリックスが返す。ですが――
「――ですが、瑠璃川さんは、あまり大きなものを真正直に移動させるのは、得意ではありません
積木くずしのように、効果的な一点を移動させ、もともとかかっている負荷や重力に任せて物体を移動させることのほうが得意です。これで見かけ上、80kg以上の物体を移動させることができるわけです」――黒縄市朗の体であるとかを。
「確かに、ジェンガを1手目で崩すのは大得意ですね~」「そりゃあ……下手クソなんじゃねえのかよ……」ガメザが目を細くするが、瑠璃川は気にしない。
現実で、フェリックスは瑠璃川のナイフを手に取る。「これくらいの重さであれば、投擲した物体をまっすぐ、時速70から90kmまで加速させることができるでしょう。ご自身を移動させるのであれば、時速60kmまで速度が出せるようです」電脳の方では、デフォルメされたフェリックスがスクーターに乗って楽しげに走行している。概ねそれくらいの速度ということか。
「ただし、その速度でご自身を動かしているときは、他の操作ができません。体を浮かせて60kmで移動することで、“合計80kg分”を使い切ってしまうようです」付け足すように言う。
「なんつーか……こう、正面切ってドカーン!って、できねえの?お前」「できませんね~疲れちゃいますし~疲れるのはガメザ先輩一人で十分ですう」「……」
フェリックスは会話の区切りが来るのをわずかに待って続ける。「まあ、先程言ったとおりです。正面を切るのは得意ではない……ですが、その役を担うガメザさんがいるじゃありませんか」ん、とガメザが声を出す。
フェリックスは少しうなずいて、「正面切って……そうですね、瑠璃川さんは例えば、瓦礫や何かで積木くずしが出来ない、空中にあるもの……飛んでいる弾丸の軌道をずらすのは、大変な集中力と全リソースの注ぎ込みが必要なようです」
中空に弾丸のビジョン。
「これを止めるなど到底不可能です。瑠璃川さんの本能的な適性は積木くずし……弾丸の行き先にカーヴしたレールを引いて、軌道を5度から15度曲げることで精一杯でしょうね」
一度切る。フェリックスは水を一口飲んで、
「レールと言いましたが、先程言いましたとおり、瑠璃川さんの力は不完全な重力遮断と電磁気力操作による万物のリニアモーターカー化です。つまり、何かを浮かべてレールを引く能力と言い換えることができるでしょうね。これを行う力の帯を、あるいは回り込むように、糸を伸ばすように頭部より全方向に伸ばすことで物体の加速を行っているわけですが、電磁」「うわーッ!一気に分からなくなってきたぞ」ガメザが声を上げる。
フェリックスは眼鏡をかけ直す。軽く笑って、失礼、と手を上げる。
「……少し回りくどい力なんです。瑠璃川さんの力は。別の方法で電磁気力を扱うほうが、直接的な影響を簡単に――ガンマ線にして突き刺す、とかね。そうして与えられるのですが。瑠璃川さんにとっては、これが最も効率のいい方法になっている」
瑠璃川は何か言いたいのか、言いたくないのか。口元をむにむにとさせている。
「もしかすると瑠璃川さん自身の意識が、ちょっぴり回りくどい気持ちの伝え方をするのと、なにか関係があるのかもしれませんね」
フェリックスはこう締めくくり、ガメザの録音操作をオフにした。

***

「もうお帰りになる、というときにすみません。この後起動実験をここで行うため、時間が取れないのです。これを皇さんとヘレン……さんに渡していただけますか」
「これは?」と、小さな紙袋をフェリックスから手渡された瑠璃川が見上げる。ふむ、とフェリックスは顎に手をおいてわずか考えた後、「お二人へのラブ・レターです。心からの愛のポエム付き……」真顔で回答する。
ガメザが吹き出すのをしっかり1秒間確認した後、薄く笑顔になったフェリックスは「今回の測定資料と私の課員IDが入っています。IDは返却いたしますので」と言った。
「え……やめンの……」ガメザは口をややぽかんと開けたふうにして、少し落ちたトーンで聞いた。聞いたが、「いえ、IDは再発行してもらいますので、環境課と無縁ということには全くなりませんよ。むしろ検診は受けやすくなると思います」と返されて、そっかと鋭い歯を見せた。

フェリックスは環境課のバンに手を3度振った後すぐに設備へと戻り、ネロニカに指示を出そうとして、彼女も一緒に環境課の庁舎に戻ったことを思い出す。試しに、と瑠璃川の式を再現してプラスチックの机をふわふわと移動させ、壁越しではそれが持ち上がらないことを確認した。一通り終わった頃、月島が背後から声をかける。
「フェリックス、この頃この実験場――やら研究室やらに、若い娘をとっかえひっかえ連れ込んでいると、何も知らないマスコミ連中から囃されているようだが」
「そのようですね」振り返ったフェリックスは口元を指で押さえて「伊勢記者にもみ消してもらいましょうか」と電話を取り出す。
「お前、あいつを何度氷漬けにしたら気が済むんだ。案外それで仲がいいのかもしれんが、いや、わからん……しかし、一応もうしばらくはメ学の顔なんだから、ちょっとメディアの目は気にしてくれよ」呆れたように肩をすくめてみせて、月島はコンソールを数回トントンと打っている。フェリックスは手短に電話をする。「はい。そうです。“ミステリアスな若手物理学者、フェリックス・クラインのミステリアスな私生活”でいいですよ」
「2回も……ハ……はあ、まあいい。私は少し寝るから。本部の車が来たらアレしてくれ」
そう言って、月島はぺたぺたと歩いていく。電話を終えてフェリックスがのぞくと、薄手のサテン生地で出来たパジャマを素肌に纏い、裸足に左右色も形も違うスリッパを履いたまま、月島はフェリックスの臨時研究室で、ソファにのびて眠っていた。
勘違い。メディアはメ学の代表をフェリックスと思い込んでいる節がある。“とっかえひっかえ”の“とっかえ”はあなたのことを指しているんじゃないでしょうかね。と苦笑して、フェリックスは開け放されたドアをゆっくりと押し閉めた。