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あなたの畢生の物語(4)

7.

朝のローカルニュースは、当然相模襲撃の件で持ちきりであった。第五元素の一派による内部テロ、その解決、原因特定を素早く行い対策をとったアルファマリア、近隣ブロックの被害を食い止め、相模での負傷者もテロリスト以外にはごく少数。
元々第五元素は自助を目的とした複数の儀礼派の寄り集まりである。このような事態はまれにあり、また予期できることであった。それを無理に抑圧することはなかったが、アルファマリアの静かで切実な物言いは内外で反響を呼んでいる。もっと厳しく事態の解決に当たるべきだとの声も少ないわけではなかったが……団体の多様性を維持しつつ、相模の技術を正しく説明し、誤解なく共同体を運営しましょうというその主張には……絆され、資金援助を申し出る外部ブロックの企業もあるようだった。

フローロは注意を病室へと戻し、NLSFのリノリウムをぺたぺたと歩き進む。計算機のフェンス、巨大な柱、横並びの肖像画、受付のような長大なテーブル――磁器を撫で回す、憂いを帯びた希薄な能面、白磁の聖母、アルファマリア。

「フローロ・ケローロ…………昨晩は……本当に…ありがとうございますおかげで…………被害も最小限に食い止められました…」
ロナルドも現れて、何かフローロに渡そうとして、いえ、話が終わってからでいいでしょう。と一歩下がる。
「手続きの……方は済んでおりますので………………この後はロナルドに…環境課の管轄ブロックまで送り届けてもらうと……………良いでしょう……」
緩慢な動作で紅茶を注いでいる。飲まずに……カップを撫で回す。
話は終わったようで、アルファマリアはちょっと動きを止め、何かやり取りを行っている用に見えた。しかし……フローロが立ち去らないのに気付いて、どうかされましたか?とほんの僅かに首を傾げる。

「……アルファマリアさん、昨日のテロリストですが、ちょうど一月ほど前にここへ運び込まれた電気事故の被害者の方に……よく似ていらっしゃった……ように思います
カップを撫でる指が止まり、それを皿へと置いて、アルファマリアは細くて美しい指を、かごを作るように豊かな胸の前で揃えて押さえた。
ちょっと黙っていたが、アルファマリアは不意に、本当に不意に、初めて見る――慈悲深い、柔和な、それでいて――不明な、完全なアルカイック・スマイルをその能面に呈して、その顔で呟いた。
「6ヶ月に…………………………またお会いすることを……期待していますよ……」

フローロは――頷いて。唾液を飲み込み、少しだけ頭を垂れて、振り返って出口を目指した。まあ、そうだ。始めから信用はしていなかった。愛嬌のあるところも見せてはくれたが、彼女はどうあれ、第五元素の長として立ち振る舞い、ロナルド・ハンティントンの糸を引いていた女なのだ。しかしわざわざ、自分がいる時にこれを引き起こしたとして――いや、わざわざ?私が――ロナルドが止めると――見込んで?期待して?なんのために?

建物を出るまで眉をひそめたまま歩いていたが、そこにロナルドが指を当て、「皺になりますよ」と言いながら、顔を下げて耳打ちする。
「フローロさん……義体を変える場合は、先生ではなくまず私にご連絡下さい」
そう言って、顔を遠ざける。……はい。と前を見て返事をして、それを聞いたロナルドは声色も口調も元に戻る。
ああ!「フローロさん「忘れておりました――「――これをどうぞ」

手渡されたのはコンタクトレンズで、前の体に入れていたARコンタクトレンズではなく、それは手荷物として既に返却されていて――新しいレンズを付けると、視界を遮っていた、物体の表面に走る格子の歪みさっぱり消えて見えた。
「視界共有した時にわかったのですが「忘却の丘の機能の残滓として「あなたの意識にはノイズが入るようなのです」
それを、視界の側から力づくで補正する。プログラム投与や差し込みもできたのだが、まだ体が馴染んでいないうちにそれをするよりは――レンズでいいだろう。と。
どうにも物を切断するというあまりにも濃い意図は、“重熱で切断しやすい場所を視覚的に捉える”という形で――残ってしまったらしい。これは確かに、日常生活を送る上でずっと見えているのは煩わしい。「……ありがとうございます。ロナルドさん。いろいろと」
「いえいえ!「これから先「あなたに仕事をしてもらう上での「前払いですからねえ!」

…………。
…………。

「仕事」
はい!「あれ?相模へ向かう前約束したではありませんか「重熱高濃度汚染遺物の火の粉を払う手伝いを――」
ああ――したような。約束など結んだ覚えはないが、そんな話は、していたような。

……。

「え……えっ、では、あの、この義体の費用とか、付きっきりでリハビリしてくれたのとか、オムレツ、ムニエル……」
はい!「朝食のパンナコッタも「入っておりますよ!」

電脳――の意識アドレスに残る、ロナルドの直通回線。
「そうですねえ「月に一度程でしょうか」何が?
楽しみですねえ!「ああ「もし重遺物の近接であなたがお困りの際は「いつでもお呼び下さい」何が?

フローロは――ロナルドの車に乗り込み、はあっとため息を付いて、しかし、ひとつだけわかってすっきりした。すっきりした以上の分胸に残る何かはあるが、しかしロナルドが露骨なほど打算的に、目的と行動の答え合わせをしてくれたことは、まあ何も言わずにいられるより遥かに良かったことだと感じた。
結局重遺物を壊したくて壊したくて仕方がなくて――そのセンサーとして有用な私をこき使うつもりで――本人の想定では、一月に一度、私をこの車で連れ出して――知らない場所で破壊的道楽趣味を繰り広げたいのだ。そうですか。

フローロは窓に肩をもたれさせて、目をつむる。何か混乱した。今も自分がわからない。環境課にこれから戻るというのに、嬉しい気持ちと同じくらいに、あるいはそれよりも、今は少し目を閉じて何も考えたくない。それしか頭になかった。
「環境課に着いたら起こしますので「それまでは眠っていても構いませんよ」
「あなたの前で眠れるほど気を抜いたわけではありませんから」
トンネルに入る。驚くほど青い海が遮られ、ナトリウムランプの潤んだ光が車内を満たした。