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あなたの畢生の物語(2)

2.

道すがら、NLSF――人命救助を目的としたブロック間医療支援団体――の施設の奥へと歩む白く無機質なその道中、しかしその肩書は正しいものではない。とアルファマリアは話していた。
取りますとも……ピルグリムの援助を受けていても…それだけでは人助けはできません…」取る。例えばそれは金銭に限ることもなく、しかし経済的な価値のあるものならばなんでも。ヒトもモノも。そして第五に勤務する。可能な限り平穏な生活は保証するし、本人の意志は確認するが、それでも無償での施しを常に行うわけではない。
とはいえ。「胸が…痛むこともあります……安全を謳っておきながら、四物資源を狙ったテロ……行為で住民を危険に晒すこともありますから…」フローロは、いくらか前目にした……火傷を負った角の男性を思い出す。

扉が開く。道中で一度エレベータに乗り込み、階層が変わっている。長い連絡通路、相模の街並みには高層ビルが少ないので、見下ろす景色もどこかなだらかで、この建物の大きさが際立っている。白一辺倒だった壁面には鈍い金属のパーツが混ざり始め、窓ガラスの枠も無骨なものへと変わっている。不可解な形に折りたたまれたケーブルや何を通しているのかわからない細いワイヤのような配管が、織物のようにガラス越しの壁面を這っている。
「相模は四物開発の指定都市なのです「環境課の区域も「学説派の「実験的なインフラが配備されていますが「あれがより高密度で「かつごく小規模に「このように」
――張り巡らされているのが、相模ブロック。

「……重熱汚染のある土地は…エネルギー開発の面から見れば金山のようなものです…それをどのように活用するかで見え方は異なるでしょう……四物技術があるかどうかで…」
相模ブロックには汚染区画があり、かろうじて残存した資料によれば――かつてそこは都市部であり、元々集合住宅であったり商業施設であったりした場所――そのような場所では重熱資源がよく発掘されるのだという。
これが成功例だとすれば、蓋をされるように、置き去りにするように、放置された汚染区画の数々も、相模のように穏当な街として発展しうるのだろうか?

「どうでしょうねえ!「簡単ではないと思います「失礼ですが「環境課の業務について事細かに調べさせていただきましたが――「住民の反発も「無かったわけでは「ないでしょう?」
本当に失礼であるし、全部の目で顔を覗き込むのはぞっとしないのでやめてほしい。なにか言いたげな笑顔は――笑顔……?これは笑顔なのだろうか……。
ですので…。とロナルドの様子は全く無視され、言葉はアルファマリアが引き継いで、裕福に見えるのです。資源運搬ロスが少なく抑えられているのでそう見えます。そのように説明する。「それは……単に…相模に住まう住民の皆さんが慎ましく……生活…しているだけのことです」なれど、
あまりに暮らしぶりが充実しているのを見て、第五元素の構成員でさえ、ここに四物炉重熱高濃度汚染遺物があって、それで豊かなのだと考える者もいます。平坦に――言う。

重熱高濃度汚染遺物。
「仮にそうであったなら「私がここにいる時点で「この街など跡形もないのですが」
「そうですね……ロナルドがこうして……、……………………。端正な顔で待機していられる時点で……この街にはなにもないという強い証拠になると思います…」

ここならいいでしょう。とアルファマリアが呟く。ゆっくりだが、それなりには歩いた気がする。ここは……NLSFの施設ではない。どのようにしてか、上層の階で繋がった別の建物。金属の要塞。誇らしげに織られた四物インフラの血管。ここならいい。とは、フローロが非電脳であるためか、周りに何も聞かれないよう人気のないところへと進んでいたのかも知れない。なので、触れずにいた部分について、アルファマリアは細い指を滑らせる。
「フローロ・ケローロ……あなた……はあなた方が“遺物”と呼称する物品に関して……」
どのように把握していますか?そう問いかける。

「重熱高濃度汚染遺物……それは、大量の脳と引き換えに、周囲の環境を激変させる道具……だと把握しています」そして、それがフローロ・ケローロ。
なるほど……とアルファマリアは呟き、ここで初めて振り返り、フローロの方を向いた。
より一般的な表現をしますが、概ね我々もそのように理解しています。そう言いながら。

「あなた方が……“遺物”と呼んでいるものを私達は……重電子臨画機と呼称します」

臨画機。アルファマリアはそう呼んだ。
「これは…大量の人間の意識……“ある特定の意図”を持ったままの意識……要は振動フェルミオンですねこれを脳以外の何かに………………無理に焼き付けた道具です」

はっとしたように、振動フェルミオンは……わかりますか?と白磁の面が問い、フローロは頷いた。振動フェルミオンは、人間の脳で意識を形成している波であり、粒だ。
つまり、脳の特定の構成物のみを定着させた道具……が、聖遺物、電子臨画機だと言っている。フローロの理解とも一致していた。

そして。
“ある特定の意図”とは?!「例えばあなたであればそれは――」
――斬首。
「ギロチンは貴族のために作られた慈悲深い処刑道具ですからねえ!「その用途にまつわった「関わった」人間の脳を!」
大量に、大量に大量に焼き付けた物体。それが忘却の丘。
「そう「です」

一息つく。わずかな間をおいて、ロナルドとアルファマリアが互い違いに確認を進めてくる。
つまり、重遺物/重力子臨画機が意識のある人間によって使用されると――焼き付けられた大量の意識は開放される。
劣化、拡散するという熱の自然な流れに沿うように、開放された意識は四次元へと連れ去られる。それが事象の地平面を叩き、熱を発生させる。――光電効果さながらに。
その時、意識が次元を超える時、“特定の意図”が、あまりに大量の情報が発生させる熱が、その意識と同じ形に焼き付けられる。
――電子の向きが、書き換わる。

……そう、把握しています。間違いはないですか?ガラスの光彩に照らされた、白磁の希薄な表情。アルファマリアの締めに、フローロはもう一度頷いた。彼らと表現する言葉は違うが――“起こっていること”は分かる。そして、一致している。

「私達は…実のところこれまであなたのことを……“11番”と呼んでおりました……」アルファマリアは告げる。
聖遺物の研究機関にかろうじて残された資料により、その総数は明らかになっている。
――その、11番めの作品。最後の作品。

ですが。
「これからは違います「フローロ・ケローロ「あなたは“忘却の丘”でも“11番”でもない」
フローロ・ケローロ。蛙に埋め込まれたギロチンではなく、柔和で意固地なひとりの女性です。
ロナルド・ハンティントンの物言いはいつだって完全に芝居で、なんの重みも感じられない。彼のセリフに意味などないといつも思う。
今も、まるで今までずっと見てきたかのような、見守ってきたような口ぶりで――あれだけ殴り合い、無遠慮に撃ち抜いた膝も、刺し貫かれた心肺も、忘れたとでも言うつもりだろうか?フローロはあまり感情的になるタイプではないので、怒ったりはしなかったが、「どの口がそんなことを言うんですか」とは言いそうになった。
言いそうになって、本当にどの口でそれを言っているのか、一瞬悩んだ。今動いたのは、右手の掌にある口だった。

だが――繰り返し、どこかで誰かに保証されたかった一言なのかもしれない。それを示してきたのが、よりによってこの男とは。皮肉なものだ……本当に、本当に。

3.

意識転写の手続きを進める4日間、慌ただしい事前検査や意識分布の測定を除けば、フローロ・ケローロはこれまで過ごしてきたド取にまつわる時間が全く嘘かのように、茫洋とした、密度のない日々を送ることになった。

――手続きの中で行われたやり取り。それは覚悟の上だったが、意識転写の施術において元の肉体は失効し、遺物の機能を持たない蛋白質へと変容するらしい。
重遺物としての意識は、その元の数がどうであろうと、最終的に思考するための機能を得ているという点では普通の人間と、あるいは電脳の人間と変わらない。いずれも振動する粒子によって、重力の架け橋によって、意識の根底の部分を紡ぎあげている。
それがアルファマリアの殆ど実証済みの仮説であり、フローロの意識の正体として確認が取れたものだ。
人格を形成している部分を抽出して引き写せば、当然重熱発現に必要な意識の総数は減少する。余剰分の意識は定着が緩んで、緩慢な速度で開放される……この蛋白質の保管は難しいため、NLSFに処理・埋葬してもらうこととした。
「……道具として作られたあなたに…こうしてお話できるだけの意識機能が花開いているのは……………………不思議なことですが直感には反しません……」どこか嬉しそうな白磁の面が思い出される。

さりとて、検査結果がスムーズに出たとして、密度のない日々に変化が起こるわけではなかった。
ゆっくりと復活した環境課管轄ブロックの通信機能からその被害の状況をうかがい知ることもできたが、肝心の、課員の安否は……庁舎そのもののネット環境が壊滅したままでは、到底つかめない。報道も多くはない。SNSで調べてみては?とロナルドに言われたものの、フローロの端末に入っているネイティブアプリケーションは、検索、カメラ、電子書籍の閲覧ソフトウェア、天気予報、時計、メール、通話……のみであった。ちょっと黙っていたロナルドは、打って変わってSNSの簡単な導入方法をレクチャーしだした。

「またね!カエルのお姉さん」
今日も子供たちが駆けている。フローロは手をひらひらと振り、小さく息をついた。
「今晩は施術ですが「不安ですか」隣に――どうして隣に自然に立っているのだろう、ロナルドが急に口を開いたので、フローロは眉を少し動かし、まあ。と返事をした。子供はお嫌いですか。などとズレた質問をしてくれればまだ普通に返せたろうに、ちょっと気を利かせたつもりでこちらの心境を読もうとするのを、本当にやめて欲しい。
それはともかく、フローロに不安があったのは事実だった。最も、それは得体のしれない儀礼派の怪人たちに、体と頭をめちゃくちゃにされるからという不安ではない。彼らのことは――信頼できないが、“ちゃんと仕事をする連中だ”ということくらい、見ていれば察しがついた。

夜道を歩く。きれいに舗装された道。この下にも、ガラス張りの廊下で見たように複雑な細く複雑なケーブルが織るように通っていて、今部屋へと帰っていった子供たちのリビングを煌々と照らすためのエネルギーを運んでいるのだろうか。
どこにでも生活はある。フローロは環境課のことが一番大切で、それ以外の営みをこんなにも時間をかけて見せつけられることは――これは、見ようとして見ていたわけではないが。そんな機会はそれほど多くなかった。
あまりにも、自分のすべてが変わってしまうことについて考え過ぎると、どうすればいいのかわからない気持ちになるので、なので――彼らの生活をぼんやりと見ることに集中しただけだ。……そのうち、NLSFの本部が見えてくる。

白い建物を進む。
寝台が近づく。

人ひとりに施術を行うものとしては異常なほどに広い、やや灰色がかった継ぎ目と白亜の壁材の一室。ここに来てようやく、フローロはNLSFで今まで見たことのない機材を目にすることになった。
それは形容し難く、見た目をそのまま記せば大まかに四角柱状のガラスを丸くくり抜いたような、非常に長大な核磁気共鳴画像法の検出器のようなものに見えた。形状はともかく、ガラス張りにされた内側に走る、金属と血管が奇怪かつ美麗に層をなし、奥部にいくつかのひだをもった脳細胞らしき肉塊が固定されているという外観が、あまりに異様すぎた。

フローロが室内に入ってからわずかに時間を置いてアルファマリアが入室し、巨大な機械を見上げるその目に気付く。「…………これも…私達と同じで体調不良を起こすことがあるのです……もちろん事前に様子を見ますが、いつでも確認できる必要があります…………ですので…………」ガラス張り。それだけ慎重を要する施術なのだろう。だが……対象者に徒な不安を与えかねないデザインは、さすがにオフィスに自分の肖像を一列並べ飾る女のやることとして、あってほしくない納得感を覚える。

さあ、と促され、やや面食らっていたフローロは寝台へと仰向けになった。「…………ロナルド」ああ!と、自然な流れで部屋の隅に居座り様子を見ていたロナルドはそうでしたそうでしたと言いながら退出し、フローロの手術着が外される。アルファマリアはその体をまじまじと、閉じた瞳で見つめながら問いかける。施術のため、意識を知覚できなくなって貰う前に聞いておきましょう。と前置きをして。

「フローロ・ケローロ…これから…あなたが転写される義体には……機能上高い重覚機能が必要ですそしてその体には…………重力子を感知する…センサー…アンテナのような部位が…必要になります」
相模ブロックで出会った、角や耳をみな一様に備えた住人のことが思い起こされる。
「どのような形が……お好みですか…」

決まっている。自分の頭を指差す。残留した蛙の瞳、機能を果たさぬ器官、自分が自分である証。蛙であったその証。

「…………そうでしょうね…特注になりますが、そっくりそのまま作って差し上げましょう…………」
では、

白磁の聖母の柔らかく平坦な声と共に、口元のマスクが機材の噴霧器へと入れ替えられた。味気のない視界の全てが、黒に塗りつぶされていく。この体をどう眠らせているのか、説明を受けた気がするが、もう思い出せない。課長の顔が浮かび、円城寺椛の顔が浮かび、No.966が、ナタリアが、リンリンが……そして狼森冴子。…ガメザ、夜八、国分寺…………全てが浮かんでは消えていく。何も見えなくなり、耳に一言だけ挨拶が聞こえた。

「おやすみなさい…………フローロ・ケローロ……」