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幕間 抜け目なし指数

「集まってもらってありがとう」皇純香は対策室の奥部より、面々を見渡す。
「各作戦で多忙なところだろうが、今後の環境課内における人事と指揮系統について、少し説明しておきたいことがある」

ホログラムの地図、各種デバイス、液晶ボードに囲まれた部屋の中、集っているのは“D案件”……いわゆるド取への対応案件に関わる環境課員たちだ。中には課長の目前であっても情報整理の業務を片手間に続けながら、外部ブロックに連絡しながらの聴講を行う課員すらちらほらと目に入る。……しかし、咎められるようなことではない。可能であれば聞いて欲しい……という皇の連絡に、ほとんどすべての関係者が集まったことの方が、むしろ驚嘆するべき事態なのだ。部屋の端の方では、会議出席頻度のあれほど悪い隠岐衿奈すら話を聞いている――あくびを噛み殺しながら、だが。
皇がスクリーンの前から逸れると、細身の男がふたり、入れ替わるように前へ出た。ストライプのスーツに、張りのあるネクタイをトリニティノットで締めた老紳士。柔らかそうな真っ白のシャツに、不吉極まる青黒のサングラスをした壮年。
椛重工の祇園寺ローレルと、メ学のフェリックス・クラインだ。

皇が軽く手を開いて「まず、高次元物理学会のフェリックス氏が正式に環境課へ移籍することになった」と短く告げた。
フェリックスは頷く。「フェリックス・クラインです。改めてよろしくお願いいたします」
ポケットより取り出した真新しい課員IDを胸元に下げて、「今後は再循環係の担当者として、常勤で業務にあたることになります」とにこやかにまとめる。
続けて。「そのフェリックスとこちらの祇園寺には、私が不在の際や“D案件”などのような状況――対応規模や範囲の大きい一部の状況において、各部署の指揮管理を任せることになった」
皇は一度狼森冴子の方を向き、「これは、実働部隊における――対応室の狼森のようなポストだと思ってもらいたい」そう説明した。
ハハハ!よろしく頼むヨ」恐らくは笑顔なのだろう。祇園寺が丁寧に梳りまとめられた前髪に指を当てて、大仰に会釈をしてみせる。――フェリックスも続けて、笑顔でわずかに頭をたれる。
スクリーンには各部署が誰の管轄に置かれるかが図版で表示されている。つまり、情報、調査系の職員は祇園寺ローレルの管轄に、開発、支援系と“複次元危険物保安班”の職員はフェリックス・クラインの管轄に置かれることになる。という話であった。説明にも出てきた通り……実働部隊は概ねが狼森冴子の管轄だ。

ええっ?!と、声を上げたのはリアムであった。「従来どおりの業務を行うんだったら、実作業に慣れているボクが開発の舵を切ったほうが安全じゃない?」手元の装置を机にがしゃりと乗せて問うと、
「その通りです。リアムさんなどは現場処理や特殊技能に特化しているため、個々の作戦におけるその場その場の判断は従来どおりお任せいたします」フェリックスが応じ、
「ただ――気を悪くさせたらすまないけれド、キミみたいなプロフェッショナルの能力は指揮や采配に向いているワケではないと判断できるネ。そういう具合で――大型作戦の方向性決定や指揮は我々、人事業務の経験者が担当した方ガいい。というコトになったのサ」祇園寺がいたずらっぽい笑顔――のような気がする顔でそう告げる。
……公的機関ゆえの体裁もある。管理職の人間は社会的な信用の厚い人員にするべきである……という皇の補足も入り、リアムはなるほど。と視線を外しながらも矛を収めた。話を聞いていた隠岐はわずかに眉をひそめ、グレン・バトラーは目に見えて面白くなさそうな具合だ。だが……わずかな違法性でも、ド取が環境課をつつく餌になることは理解できる。意見のある者たちも、この場では一旦口をつぐんだ。

さて。
「ありがとう。連絡は以上だ。――早速この体制での作戦を展開する必要があるので、祇園寺、ナタリア、軋ヶ谷、おキャット……君たちは残ってくれ」皇が机に手をついて見回す。声をかけられた4人は返事をして残り、あとの者たちはめいめい散っていく。
「フェリックス」背を向けたフェリックスに皇が声をかけると、「わかりました。“開闢調査”の説明と指揮はこちらでしておきます」と彼は振り返り応じて、考え事をするように去っていった。

……皇は窓の外を見る。いつか人員不足を痛感して人員募集をかけた頃と変わらないほどの職員数。先の庁舎襲撃で身の危険を感じた一般職員たちは、そのいくらかが市井に下っていった。なにもおかしい事ではない。しかし、不在の隙を突かれた彼女に、思うところがあるのは事実だった。

――今こそ、環境課員とはどう動くべきか、なにを信念に働くものなのか。きみたちは、それを考え直すべきときなのかもしれない。