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幕間 ドス黒いダイヤモンド

環境課新庁舎、第3会議室。そこは今しがた急いで片付けられたようで、壁には実験資料の印刷物やデバイスがいくら残っており、隅の方にはマルクトエディスが2挺立てかけられている。

「まずは、皆さんに協力していただく“開闢調査”がどういったものなのか、概要をお話いたしましょう」
フェリックスは指を鳴らして部屋の道具をひと息に積み上げ、布張りの椅子をカーペットに滑らせる。やや嬉しそうな顔のネロニカ、ヘラヘラしつつも眉根を寄せたグレン、キョロキョロしているアートマが並んで座り、“複危――複次元危険物保安班”の新体制栄えある第一回目のミーティングはこうして始まった。

フェリックスはネックレスを直し、窓の外を眺めながら話し出す。「環境課は、長引くD案件資源的な窮地に立たされています……特にエネルギー資源と建材ですね。これらの供給が難しい状況です」――だが、データは表示しない。いくらか機密を含んでいるのだろう。言葉も選んでいるように聞こえる。
「他部署が関わっておりますD案件の直接対抗作戦とは別に、複危の皆さんには、この資源的な窮地への対抗作戦を開始できるように準備をしていただきます」わずかに間をおいて、青黒いサングラスは目線を複次元危険物保安班へと向ける。
これを聞いてグレンは「資源ねえ……資金的な窮地でもあるんじゃないのかい」と返す。
「お前さんが急に出張ってくるのは不自然さ。区画民から吸い上げてる分や重工の偉いサンからのご厚意だけではなんともならんって……コトじゃないのかい」この言葉にフェリックスは返事を用意せず、ただ無言で笑顔を見せる。
――笑顔のまま、サングラスの科学者は電気ケトルのスイッチを傾けて、「……組織間の対立で重要になるのは、人員の多寡や武装品の多寡だけではありません」と、話し始める。いわく、
重要なのは、より広い観点での“力”――持久力。これににかかっています。ですので、組織の持久力を左右するこの局面、皆さんの能力を発揮していただきたい。と。
資金力、資源力、権力、……それを維持する力。まるで――そのような、組織間の対立を経験してきたかのように……淀みなくフェリックスは言い切る。
おとなしく聞いていたネロニカは「具体的に、私たちは資源の窮地に対して何をすればいいのでしょうか」と整った無表情で質問する。
フェリックスは指をくいと動かし、「コンタクトレンズと電脳に表示します。こちらの映像をご覧ください」と130MB分のデータを流した。
映し出されるのは――半壊した逆さまの都庁ビルが、別の横倒しの建築物に埋もれている空撮……のように見える。周囲は荒れ果てているが、不自然なほどに植物は見当たらず、そこら中に濁った黒い水たまりが点々としている。そして……その水たまりは、曇り空の鈍い陽光を受けて、不気味な虹色に煌めいている。
「人の気配がない場所ですね」アートマがつぶやき、「汚染区画だ。そりゃそうさ」薄笑いをやや苦々しげに歪め、グレンがそう続ける。
「そう……こちらは旧都庁跡地周辺。汚染区画です。この作戦は高濃度汚染区画における資源回収のための調査……これを“開闢調査”と銘打っています」
更に表示されるいくつもの写真、図表。
重力汚染を受けた土地で発見される黒い汚水と、それが煮こごりのように密になったタール状物体の写真。そのタール状物体を用いて既存の発電機構を劇的に改善する旨の実験映像と……その成功例。
一見したところ、実験映像に用いられている装置は、環境課でも実用化されている“脳を用いた改善発電機構”に酷似している。補助バッテリーとして癌化脳細胞のみを利用するのか、――タール状の汚水を半分用いるのか、明確な差はそれくらいしか無い。
「旧都庁跡地は……過去に起きた重力災害の被害が特に大きかった場所でもあります。他ブロックの同様な地域……高濃度汚染海域ですね。そこで見つかったと報告されるこちらの写真――タール状の物体。これを補助エネルギー資源として本格的に利用できるかどうか。あるいは利用できる場合、安定して確保できないか。そういった調査のために、この汚染区画の調査を行っていただくわけです」
――付け足すように、「この作戦は大変大規模ですからね。今回皆さんにお話しているのは、先行作戦……ピクニックの下見のようなものです」ピクニック。フェリックスはそう表現する。
聞いて、グレンは意地悪い笑みを口元にたたえた。「地獄のピクニックに人形組を送り込んでおいて、アンタは高みの見物ってワケだ」と手を広げてみせると、「はい」と、フェリックスは普段どおりの顔、無感動で応じる。……ネロニカが薄く微笑む。
ですが――「私たち通常の人間用の防護服も用意してあります」また、このビルは地表階及びそれより上の階層では汚染が人間の活動に影響を与えるレベルではない、ということが、メ学の研究員調査によって確認されているらしい。
つまり、「この作戦においては、現地上部階層に臨時拠点を立ち上げ、私あるいはグレンさんのバックアップを常時実行可能な状態にするつもりです」フェリックスはそう締めくくる。
「先生は……庁舎より指示を出していただいたほうがいいのではないでしょうか」指揮業務も増えたことでお忙しいでしょうし。とネロニカは一瞬だけ目線を逸らして口にする。フェリックスは「作戦がより重要な段階までくれば、の話ですよ。それに――複危の皆さんの助力をもって、負担を分散しつつ安全な調査が行えるような手を打つつもりです」と振り返って目を細めてみせる。
…………。
はあ、とグレンは乗り出した身を後ろへ戻した。プラスチック製の椅子が音を立てる。「まあ……わかった。アンタは全然信用できないし、他の資金繰りの方がまったく安全なんじゃないかとは思うんだが」
が。グレンはかぶりを振って、「解決しなきゃならない問題そのものに関しては……はい、そうですかって感じだ」そう続ける。彼はゆっくりと立ち上がり、笑顔の顎髭をさすりながら背を向けた。
アートマは――部屋を去るグレンを追い、出る前に一度礼をして、「あ……では、自分は必要な備品の確認をしてきます!」と大きな体でちょこまかと走っていった。残ったネロニカとフェリックスは顔をやや見合わせる。遅れて、電気ケトルの中で水分が気体に変わる音が聞こえてくる。
「呆れた。先生の話を最後まで聞かないだなんて。モラルに欠けます」
ネロニカが“モラル”などというので少し笑いながら、「まあ、開闢調査はまだまだ先です。明日からしばらくは、マルクトエディスを利用した特殊処理の実験を庁舎内で行うことになるでしょう……ブリーフィングを午前に入れておきます」フェリックスは手際よく備え付けのカップにセール品の紅茶を用意し――「今は……お茶でもして一息つきましょう。ヘレンさんを呼んでみます」――少し困ったように眉を傾け、電脳越しではなく、手元のデバイスでメッセージを打ち込む。送信する。

……そういえば、「あの汚水――エネルギー資源として利用できるかもしれないという、あれはなんなのでしょうか?」思い出したように、ネロニカがグレンたちの椅子を片付けながら聞いた。
フェリックスは手元の携帯電話から視線を上げ、
「あれは溶解、圧縮されたまま生存している、人間の脳です」
と、事も無げに答えた。汚染海域の黒色の海水は――つまり、ヒトの体細胞からなるスープであったわけだ。ヘレンからのメールには、『誰が行くか。5分待っていろ』と表示されていた。

昼過ぎに窓に突き刺さる陽光が、庁舎の中の人影をくっきりと切り抜いている。環境課内は慌ただしい。各々が“D案件”に関する捜査に追われ、身骨を砕くような過酷な毎日なのだ。いまだに包帯の取れない課員だっているし、寝食を庁舎で済ませてしまっているものも少なくない。みな限界というわけではないが、空気はわずかにひりついている。強まった団結もあれば、不満や疲労が溜まっているところもある。
グレン・バトラーはどうだろう、彼の中にもド取が跳梁跋扈している現状を改善したいという思いがあったし、庁舎襲撃に関しては人並み以上に怒りも感じていた。だがどうだ?今彼は、コンクリートの実験室で、ネロニカとアートマが不器用に……なんだかわからない四物器具を用いた試験を行っているのを……頬杖をついて眺めるほか、何もできずに居る。
フェリックス。高次元物理学会の青二才がやってきてから、グレンの仕事には横やりばかりが入るものだ。書類の全面的な書き換えに始まり、無愛想な人形のお守りや現実改変捜査への介入、終いにはそのフェリックス本人が自分の上司だなどと。そんな話は寝耳に水だったし、いや毎度寝耳に水だったので、今回はもはや耳に直接蛇口でも突っ込まれたような具合だった。
「“開闢調査”が進めば、高濃度汚染区画に通常の人間が潜行する必要が出てきます……そのためには、周辺の振動フェルミオンが持つ運動量を、適切な度合いまで減退させる必要があります」
そう、あの忌々しい、トンチキ・サングラスは言っていた。そこで――専用カスタムを施したマルクトエディスと重化ナナカマドを組み合わせ、“錨”を作成して――これを汚染区画の調査箇所に打ち込む必要があるらしい。全く意味はわからないが、とにかくヤバい場所には人形組が先行して乗り込み、この“錨”を打ち込んで、人間の行動可能な環境に変えることが肝要ということらしい。
「40万……60万……それが12……13……資金確保のための準備に、いくらつぎ込むつもりなんだかねえ」思わずグレンが声に出してしまったものをネロニカは聞き漏らさず、「どうして貴方が先生にいちいちつっかかるのか、理解できません」と刺してくる。
グレンは一瞬、何か強い言葉を返しそうになったが――それはやめて、ヘラヘラと笑みを浮かべる。「まあお子様にはわかりませんことよ。これはオトナのお話なんでね」「そうですか!こういったお話が人間のオトナの証……参考になります」……アートマの蛇行運転に轢かれ、ロマンスグレーの頭を抱えるグレン。
今――人形組が行っているのが、開闢調査における錨の打ち込み試験だ。アートマのセンサーを拡張して汚染濃度を確かめ、ネロニカが錨を起動させて安定した構造物に打ち込む。
要は。フェリックスの言っていた“負担を分散しつつ安全な調査が行えるような手”というのがこれだ。復危が汚染区画を開拓し、人海戦術で調査をすすめる。そういう話であるようだ……何が負担の分散か。結局この班がいっとう危険なことには何も変わりがない。
「む……」
……見ると、力加減が難しいのか、ネロニカの腕力が常軌を逸しているのか。先程から、錨は試験用に置かれたコンクリート塊を徹底的に破滅させ、粉塵舞う地獄絵図を演出している。ネロニカは何も言わないし、アートマはコンクリートが粉末化するたびに「うわぁ!」と気弱に叫んでいる。
ため息をついて。グレンは隣の部屋へと移動した。ネロニカは少しだけそれを眺めたが、すぐに興味をなくしたようで、錨の打ち込み試験をやり直す――「そうじゃねえ」アートマから、まったくアートマらしからぬ、まるっきりグレンの声が聞こえたので見上げると、アートマ本人も戸惑っているようで、あたりを見回すようにしている。
「ネロニカ、打ち込む角度が違うんだ。フェリックスの話を聞け聞けといつもうるさいお前さんらしからぬことじゃないかい。ええ?」もう間違いない。グレンだ。実際の作戦のとおりに、現地でのオペレーションを模しているらしい。アートマのセンサーに乗って、アートマのスピーカーを勝手に使っている。「急にネロあのなんでお前今だっていっしょにウニや……やめろ!」……同時に音声入力すると、本当に訳のわからない事になってしまうらしく、思わずグレンは笑ってしまって、すまん、すまん。と仕切り直した。
「そう。錨を握る角度はあいつの言っていた通りちゃんと出来てる。だがフェリックスはブリーフィングのときに“重力に任せる感じで落とせ”って言ってたろ。お前さんは下手に腕力で持ち上げられちまうからそうなってるんだろうが、全然重力に任せず腕の力だけで打ち込んでるんだ……だから、術式が壁面を溶解させる前に、物理接触してコンクリートを砕いてしまってたワケだ」
「……驚きました。ただ図体と態度が大きいだけではなかったんですね。専門分野外に対しても凄まじい観察眼です」
一言も二言も多い。しかし相手は子供、相手は子供……と一瞬だけ火がついた胸をすっと宥めて、グレンは「そうだろう?もっと尊敬しなさい」と自慢げな顔をしてみせた……当然……その表情はネロニカから見えることなど無い。カシン。と高い音が鳴って、コンクリート片に錨がきれいに突き立った。実際の調査では汚染部の潜行をなるべく短時間に済ませる必要があり、錨そのものの組成がネロニカにとっては毒物なので、狙いを定める暇もなければ、ミスをすることも許されない。しかし……ひとまず一歩前進である。グレンは渋めな笑顔でネロニカの仏頂面を見守り、アートマはバック・パックから替えの錨を手渡した。
彼らには彼らの戦いがある。いずれ汚染区画に向かう運びは、今ド取と戦う環境課の次なる支えとなるだろう。
カシン。
……錨はもうじき、下ろされる。