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永遠は、なにいろ

こんにちは。
台風一過です。カラスです。

ところで、
祖母からもらったものはたくさんあるのですが、
”物”で言うと、色鉛筆が思い出深い。
実家にもまだまだあるので、
たいていの塗り絵は大丈夫。

すべての色にオリジナルの名前がついてて
例えば

飾り窓のヒヤシンス

ペルーの更紗

日本海の漁火

ジュラ紀のアンモナイト

お母さんのおしるこ

などなど。
子供ながらに
日本語って素敵だな
色にキャッチコピーをつけるって憎いな
と感じたものです。

ことあるごとに、
つねに学ぶことや
文章を創作することや
本を読むことや
絵を描くことや
楽器を吹くことなどを
推奨してきた祖母。
クリスマスや誕生日に贈ってくるものは
図鑑、文学全集、地球儀、文房具、楽器など。
今となってはヨダレもののオンパレードでした。

生涯一教師で
歴史や芸術の造詣が特に深く
定年後は、京都の観光ボランティアに。
ずーっと何かしらを教えてくれる人で、
それはつまり、ずーっと学び続ける人でした。

生粋の京都人で
京都とともにあったような人なので、
九州の実家に引き取った隠居後は
諦めたことも多かったはずだ。

すごいなと思ったのは
仕事やボランティアを辞めてなお
毎年、膨大な年賀状が届いていたことです。
歴代の教え子たちからは
電話やメールもひっきりなしで、
「わからへん」と言いながら
スマホを楽しそうにいじる祖母を見て、
人間、なにを築いて生きていくべきか痛いほど感じました。


大昔から続く「血縁」という流れのなかで、
たまたま祖母と孫という関係になった私たちですが
近い世代にいてくれて本当によかった。
会うことのない血縁者のほうが断然多いわけですもんね。
血縁関係になれたことも、
会える家族になれたことも奇跡。

この夏、祖母が他界し
私はあの色鉛筆を引っ張り出してきて
祖父母が暮らした
今はもうない京都の家を描いてみてる。
外観は写真を見ながら。
部屋の中の細部は、もう思い出せない。
屋根裏へ入る扉のアーチ状の形と
カーペットの琥珀色と
お風呂場にあった、いかつい給湯器は覚えてる。
大きなものを失ったなと思う。

大人になることは、
しょうがない現実と、自分の中にある童心が
どっちもどんどん大きくなって
バランスを取れなくなることのように思う。

もうすぐ四十九日ですが
今は帰れないので、
祖母の寝室でも描いてみることにします。
ベッド脇には家族写真があり、
そこではずっと私は小学生でした。

それでは、今日はこのへんで。
さよならコピー

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