見出し画像

【名古屋競馬ラスト開催観戦記 前編】 旧名古屋競馬場とはどんなところだったのか?そして移転を決めた理由とは?

2022年3月11日、11年前に東日本大震災が起こったこの日、一つの競馬場がその歴史にピリオドを打った。


その競馬場とは、愛知県名古屋市港区にある名古屋競馬場である。


かつての地名から、「土古(どんこ)競馬場」と呼ばれ親しまれた競馬場で、公営団体が主宰する地方競馬の競馬場として73年もの歴史を持つ競馬場である。

歴史にピリオドと書いたのだが、競馬場の歴史が終わってしまう訳ではない。


実は廃止では無く移転で、2022年4月からは弥富市にある名古屋競馬所属の馬が住む厩舎とトレーニング施設として機能している、弥富トレーニングセンターを新たに競馬場として利用することになったのである。


今回、港区の旧競馬場で最後の開催が開催されるので、僕は最終日前日の3月10日に名古屋競馬場を訪れてみた。


今回の記事は、前後半に分けて名古屋競馬場を紹介していく。

前半に渡る今回は、名古屋競馬の歴史と移転の経緯に関して、簡単に解説していこうと思う。


名古屋競馬場の歴史


画像1



最初は、名古屋競馬場の簡単な歴史から振り返っていこう。

名古屋競馬場の建設が始まったのは、戦後間もない1947年のこと。元々は名古屋競馬倶楽部という組織が民間での競馬開催をしようとして競馬場を建設しようとしていた。

だが、建設開始してわずか半年後に競馬法が改正されて、民営での競馬開催が禁止となってしまう。


これによって建設工事は中断してしまうのだが、新たに主催者となった愛知県と名古屋市によって中断していた工事の再開を決意。直ちに名古屋競馬場管理組合を結成して、競馬倶楽部の事業を継承。


こうして1949年5月に、港区泰明町に現在の旧競馬場が完成した。

1970年には投票が自動化、77年には4月からの移転先となる弥富トレーニングセンターが開場。少しずつ設備も近代化していった。


勝馬投票券の発売方法もだんだんと充実していき、現在ではその日に開催する地方競馬の全レースの馬券を購入できるようになった。

さらに2013年には、JRA(日本中央競馬)の委託によって名古屋競馬場内で週末のJRAの全レースの馬券が購入できる「JーPLACE名古屋」となり、週末にも人が押しかけるようになった。


一時期は、馬券の売り上げ不振によって40億近い巨額の赤字を献上していた名古屋競馬場だったが、

・場外発売の充実

・JRA馬券の発売

・ネット投票の充実

によって危機を脱出。2015年には見事10億円の黒字を達成したのだ。


そして名古屋競馬場は、交通のアクセスも抜群である。

名古屋駅からあおなみ線に乗って約20分。「名古屋競馬場前」駅で下車して徒歩10分ほどというアクセスの良さが取り柄であった。

名古屋市営バスでもアクセスが可能で、名鉄神宮前駅や地下鉄東海通駅からバスに乗ってアクセスもできる。(あおなみ線ができる前は、名鉄バスによるシャトルバスが神宮前駅まで運行されていた)


名古屋市中心部からこれだけ便利でアクセスしやすい競馬場なのに、どうして移転してしまうのか?

これに関しては次の章で解説していく。


なぜ名古屋競馬場は移転するのか?


画像2


最初にも書いたが、旧名古屋競馬場は73年の歴史にピリオドを打ち、2022年4月から新たに弥富市に競馬場を新設する。

それには、はっきりとした理由がある。


①施設の老朽化

画像3


名古屋競馬場の移転理由の一つ、それが施設の老朽化である。

この写真を見てもわかるが、多少の手は加えられているものの、全体的に施設の老朽化は無視できないようになっている。



画像4


特に汚いのが、ゴール前の第1、第2スタンドで、おそらく53年前の開業時と全く変わっていない。


それだけ汚く、スタンド内に入るとまるで昭和にタイムスリップしたかのような気持ちになった。



画像5


馬を見るパドックも、馬が歩く地面のトラックが剥がれていたり、騎手が待機する建物も汚なさや観客席の足元の悪さが目立ち、お世辞にも環境は良いとは言えない。


さすがにトイレはきれいになっているが。



ほんの10数年前までは赤字経営だった名古屋競馬場。

改修工事や移転をしたくてもお金が無くて問題は先延ばしになっていた。


しかし、JRAの馬券が名古屋競馬場で発売されたり、地方競馬のネット投票が整備されると競馬場の収益があれよあれよと言う前に増加。


見事黒字経営となったこともあり、今回の移転につながったのだ。


新名古屋競馬場が名古屋市から遠くなってしまうが、開催の環境が良くなると思えば前向きな気分になれるだろう。


②跡地がアジア大会の選手村として利用されるため


画像6


2026年のアジア競技大会の開催地に選ばれた愛知県と名古屋市。

その選手村の建設予定地として、名古屋競馬場が選ばれたのも移転の理由の1つである。おそらく移転計画の思惑が上手いこと一致して、今回の決定になったのではないかと思う。


選手が開催中に暮らす住宅など、様々な施設がこの場所にできるのだ。


旧名古屋競馬場は移転後、「サンアール名古屋」として場外馬券売り場として営業を継続する。ゴール前スタンドとパドック周辺は立ち入り禁止になって、2号3号スタンドと一部の飲食店は引き続き営業を継続する。

しかし現存するスタンドも、徐々に取り壊し新しい場外馬券売り場にする方針らしく、古いスタンドを見たいなら今のうちである。


そしてアジア大会終了後に選手村がどうなるのかは、具体的にはまだ決まっていない。


③馬を輸送するコストを削減できる

旧名古屋競馬場がある場所は名古屋市港区。

一方馬や関係者が暮らす弥富トレセンがあるのは愛知県弥富市。


距離としては車で25分ほどである。


馬の移動には、馬を乗せる大型の馬運車が必要となってくる。それに伴う移動費のコストがかかり、関係者の負担も相当なものだった。

もしトレセンが競馬場になれば、厩舎の隣が競馬場となるので、馬達は競馬のために馬運車に乗る必要も無くなる。


移動費の削減となり、競馬開催のコストを大きく削減できるのだ。


名古屋新競馬場とはどんなところなのか?


画像7


2022年4月に完成する新名古屋競馬場とはどんな風になるのだろうか?
ここではざっくりではあるが紹介していこう。



新しい名古屋競馬場は、愛知県弥富市の海側に位置し、湾岸高速道出口のすぐ近くなので、車でアクセスするには便利な場所である。


しかもナガシマスパーランドから車で20分、レゴランドから車で10分と、行楽地のアクセスは抜群に良い。不定期ではあるが、ナイター競馬を開催することが決定しているので、昼は行楽地に、夜は競馬場で遊ぶというスケジュールも組めるのだ。


画像8


新しい競馬場の完成予想図がこちらである。


旧競馬場より観客席が狭い感じだが、芝生広場やパドックは旧競馬場とは匹敵にならないほどの美しさだ。

しかし旧競馬場よりも、多くの観客は収容できないかもしれないように見える。


そしてこの競馬場、車を持たない人にとっては、かなり不便な場所にある。
名古屋駅から20数分で電車でアクセスできた旧競馬場とはえらい違いだ。


近年はネットで馬券を購入するのが主流になっているので、競馬場へ行くよりネットで競馬を見て馬券を買って欲しいという意思表示にも思えた。


画像9


ちなみに旧競馬場の正門には、新競馬場へ行くための無料バスの時刻表が掲載されていた。

最も便利そうなバスは、1日5本出る近鉄蟹江駅から発車するバスだ。


所要時間も20分くらいなので、僕だったら確実に近鉄蟹江駅を利用するだろう。


他には、旧競馬場と名古屋駅前の名鉄バスセンターからのシャトルバスも運行するとのことだ。


所要時間はどちらも約40分ほど。


もし渋滞に巻き込まれたら嫌なので、僕は雄らく利用しない。



ちなみに、肝心のコースは1周1140mで、直線の長さは240m。
直線の長さは、西日本の地方競馬場でNO1の長さとなる。


どんなレースが行われるのか、今から楽しみだ。


最後に


そんなわけで、73年間に渡って港区にあった土古競馬場ごと旧名古屋競馬場は、2022年4月に弥富市の新競馬場へ移転する。

競馬場が無くなってしまうのは少し寂しいが、新たな競馬場の元で熱いレースが開催されることを期待したい。


次回は、最終日前日の3月10日に競馬場を訪れた時の様子を紹介していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?