読んだ:エヴァン・ラトリフ『魔王』

 今日も今日とてコロナ禍は猛威をふるい、なかば日々の生活が「マグロ漁船」のそれ(缶詰状態になったままお金だけが溜まっていく状態)と肉薄してゆく状況だけが連綿と積み重なっており、斯様な状況なのでここぞとばかりに「詰み本崩しタイム」と洒落込みたいところなのだけど、そうは問屋が卸さないというのが現実というものの世知辛さであり。

 たっぷりあるはずの可処分時間はちょいと仲間内で始まった謎の取り組みの中に埋没して、あっという間に一週間程度が溶け去ってしまった。この件に関しては当分の間は口外できそうにないのだけど、自分史としては驚くほど即物的な「糧」となっているので、いつか機会があればその辺をまるっと白状するかも知れないが、正直、一生そういう日は来ない方がいいともいえる(念のため念押ししておきますが、犯罪はしてないです)。

 そういうわけで読了までかなり時間が掛かってしまったけれど、ちみちみ読んでいたエヴァン・ラトリフの『魔王』を読了した。

 "──どれだけ悪人であろうと、どれだけ人を殺そうと悪事を犯そうと、そしてどれだけ人から憎まれようと、やつは史上まれに見る万能の犯罪者だ"

 読む前は「ドン・ウィンズロウの『ザ・カルテル』と見せかけて、どちらかといえば同作者の『ダ・フォース』みたいな感じかな?」と思ったけど、実際のところはそのまんま『ザ・カルテル』寄りだったかも知れない。

 2012年に逮捕されるまで、著名な暗号化プログラムの開発から着手して全米に根を張った脱法薬剤販売ネットワークの構築、ソマリアでの海賊業参入計画に麻薬売買、イランへのミサイル誘導システム販売、香港での資金洗浄に数々の殺人示唆、東アフリカでのクーデター画策と世界を股にかけ数多の犯罪を陰で操っていた天才的〈黒幕(マスターマインド)〉、「ポール・コールダー・ル・ルー」の半生に迫ったノンフィクション本。
 不動産業に携わるとある女性の殺人事件と謎のボート漂着事件から始まり、著者自身である記者、麻薬捜査官、糊口を凌ぐために違法オンラインビジネスに参入する医師たち、自分が何をしているのかすら理解していないまま淡々と「事業」を進めてゆく末端のエンジニアに犯罪構成員たち、子飼いの傭兵集団、そしてポール・ル・ルー──散文的に綴られていく各セクションが時系列を前後しながら収束し、最終的に綿密に編まれたタペストリーのように巨大な犯罪構図が開示されていくのでオタク的にもにっこりな構成。
 本書を読んで、ソマリアとかメキシコとか南アフリカとかの「世界やばいところマップ」に新たに「フィリピン」が加わった(公権力の汚職と犯罪者に都合のいい法律が跋扈していてやばい)。

 香港での資金洗浄(&収入をどんどんダイヤや金に変えて各地の隠れ家に傭兵たちに運ばせるくだり)とかも面白く読めたのだけど、とりわけ白眉だったのはソマリア編。
 現地での海賊+身代金誘拐業に参入するため、部下のひとりをいきなり現地へ派遣して「とりあえず漁業から始めろ」と裸一貫から始めさせるル・ルーのSADISTICな無茶ぶりとなんとかして現地人の信頼を勝ち取りながら体制を立ち上げようとする部下氏の奮闘ぶりはかなり楽しく読めた。
 事実上の無政府状態下でインフラを整備しつつ、油断したら即現地の武装勢力がエントリーしてくる環境、とても緊張感があっていいですね(微塵も良くない)。
(あと暗黒傭兵集団が暗殺業のことを〈ニンジャ・ワーク(もしくはボーナス・ワーク)〉と呼んでいたのもだいぶゴキゲンでよろしい)

 たった一人で数々の犯罪セクションを切り盛りしながら世界中に広がる大犯罪ネットワークを構築し、巨万の富を築いたにも関わらず出で立ちはいつも短パンにサンダル、食事や洗濯に費やすたった数ドル単位の出費を渋り、後年は「部下が自分のカネを盗んだのでは……?」と根拠のない妄執に駆られて暗殺部隊を差し向けまくるル・ルーのキャラクタ造詣がとにかく秀逸で、いや、ノンフィクションなのだけど、とにかくそういうスケール感の大きさとみみっちさのアンバランスさの塩梅が大変よろしい。

『アベンジャーズ』のルッソ兄弟による映画化も決まっているみたいなので、皆さんも読んだほうが良いですよ。まぁ、500ページもありますが……。

 

 以下、核心に迫るネタバレあり。

 飽き足りることなく悪としての「名声」を求め続けたル・ルーが悪に淫した最大の要因が「産まれた直後、実の親から親権を放棄された上、出生届に『名前』が記載されていなかった(名無し)ことを知ったときの絶望」というのがバッチバチに強度があり過ぎて「これ、アニメか?」レヴェルがかなり高い。
 自分自身の「名前」を持たなかった男が悪に目覚め、自分のための巨大な犯罪帝国を築き上げながら世界各地で無数の子どもを作り、最終的に実際に地上に自分と子孫が暮らすための「国」を作ろうとしていたル・ルーの妄執が「世界に自分の存在を刻む」ための復讐そのもので、そのグロテスクなまでの筋の通し方が非常に印象深かった。いやぁ、ほんとうに気持ち悪いなぁ!
 こういう独善的かつどこか狭量なエゴイズムで世界を押し潰そうとする感じをクソでかい規模の犯罪の「原動機」に持ってこられちゃうと無条件にシビれてしまう。まぁ、ノンフィクションなんですけどね(人が死んでんねんで!)。 

 だいたいそんな感じで、みんなもガンガン積み本を消化していこうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?